陽炎に揺れる夢

ファミレスで初めて会ったあの日、三枝さんは、色々な話をしてくれた。

朝比奈君が、もしこれからオリオン・プロモーションに所属することになったら。

そんな未来を見据えて、朝比奈君のことを考えたいくつもの提案をしてくれたのだ。

私たちは未成年だから、保護者がいないと契約はできない。

でも、それとは別に

「一度、事務所に遊びに来てみない?」

そう言って、私たちを誘ってくれた。

土曜日よりも日曜日のほうが事務所の人は少ないから、という理由で、私たちは日曜日に行くことになった。

もちろん、私も一緒に誘われている。

三枝さんに、

「遠野さんは、彼の状態を知っていますか?」

と聞かれて、私が頷くと、

「それなら、朝比奈君が慣れるまで、一緒に来てもらえると助かります」

と言われていたのだった。

学校で『誰かと一緒に過ごす』ようになったせいか、日曜日はあっという間にやってきた。

私は『ボータン』だとバレているから、手作りした小物類を好きなだけ私服に取り込み、事務所へ向かう。

朝比奈君は、初めて私のインスタに登場したときに身につけたフード付きマフラーをしてくれていた。

(あの時は、夏だったな……)

そう思うと、その光景が蘇って、思わず笑ってしまう。

「今、あの時は汗だくでマフラーしてたな、とか考えてただろ」

と、朝比奈君が私の思考を読んだみたいに言った。

事務所の前に着くと、三枝さんが入り口で待ってくれていた。

「うわ、二人とも素敵なアイテムですね。そのまま雑誌に載せられそうだ」

そう言って、にこやかに褒めてくれる。

私は、自分の作品たちを褒められるのが、いちばん嬉しい。

胸の奥に張りつめていたものが、ふっと緩むのを感じた。

三枝さんは、そのままレッスン室や多目的室、ランウェイを想定した部屋、撮影スタジオなどを案内してくれた。

朝比奈君は、ぎゅっと口を閉ざしたままだ。
ただ、眼鏡の奥の目だけはきらきらと輝いて、忙しなくあちこちを追っている。

朝比奈君は、身体の奥から「嬉しい」という感情が溢れ出しているみたいだった。

三枝さんもそれを感じ取っているのか、少しだけ目を細めて、満足そうに彼を見ている。

その眼差しは、とても温かかった。

私たちは、もう一度レッスンスタジオに案内された。

壁一面に鏡が貼られていて、自分たちの姿が常に映し出されている。

どうにも落ち着かない。

三枝さんは、そのまま床に座り込んだ。

「椅子に座ると堅苦しいかと思って、ここにしたんだ。床で硬いかもしれないけど、ごめんね。堅苦しくしないで、好きに座ってもらっていいから」

そう言うと、手にしていた鞄からファイルを取り出し、何枚かの紙を広げ始めた。

「どうだったかな。ここは大手の事務所だからね。モデルがいろいろ学べるように、部屋もたくさんあるんだ。少しは、イメージできたかな」

朝比奈君の横顔を見つめる。

彼は、小さく頷いた。

「もし、君がこの事務所に所属したいという気持ちがあるのなら、次は保護者の方と一緒に来てもらいたい」

「でも、その前に……朝比奈君が安心できるように、この前話したことを、もう少し具体的に話させてもらえないかな」

三枝さんは、朝比奈君の心に届くように、ゆっくりと、優しいトーンで話してくれていた。

そして、一つひとつ、朝比奈君の気持ちを確かめるように、言葉を区切ってくれている。

「所属したからといって、すぐにオーディションを受けるわけじゃない。まずはレッスンとして、ウォーキングやポージングといったことを、ここで学ぶ。モデルとしてのマナーや、必要なら語学も勉強する。それから、撮影スタジオで写真を撮られる練習もある」

朝比奈君は、それを想像したのか、固まったまま、じわりと汗を滲ませ始めた。

「朝比奈君は、まだ高校生だ。僕は、君を世界で活躍できるモデルに育てたい。だから、デビューするのは高校を卒業してからにしたいと思っている。大学に行くなら、大学生になってからだね」

(高校を卒業してから……)

「まだ時間はある。焦らなくて大丈夫」

そう言って、三枝さんは優しく微笑んだ。

「確認したいんだけど、朝比奈君。君は今、心療内科に通っていたりするのかな?」

(私は、今まで通院しているかを聞いたことがなかった)

朝比奈君は静かに視線を落とし、ふるふると首を横に振った。

「そうか。それなら、心療内科にも通ってほしいんだ。ここでは、モデルたちのケアとして、メンタルヘルスを大事にしているんだよ。モデルは、人の目に晒されるのが仕事とも言える。
だから、心理カウンセラーを利用している人は結構多いんだ。君にも紹介できると思う」

朝比奈君は顔を上げる。

憧れのモデルたちも、人前に立つことでストレスを抱えることがある――

そんな現実を知ったことで、少しだけ希望を持てたのかもしれない。

「君はすでに、自分の心を守る術を知っているだろう」

「その、眼鏡とマスク」

そう言って、私たちを守ってくれている必須アイテムを指差しながら、三枝さんは話を続けた。

「だから朝比奈君、君は大丈夫なんだよ。
それに、私としても好都合なんだ」

「君が顔を隠してくれているおかげで、こうして誰にも見つからずに来られた。僕はラッキーだよ」

「これは、ボータンさんのおかげでもある。感謝するよ」

言い終えると、三枝さんは私に向かって頭を下げ、ニコッと笑った。

「朝比奈君が、ここでレッスンを積んで、カウンセリングで人前に立つことが少しだけ怖くなくなれば、君は胸を張ってランウェイを歩けるようになる」

「君のことを知らない人はいなくなるかもしれない」

「そうなったら、眼鏡とマスクに感謝する日が来るんだよ」

少し間を置き、三枝さんは笑みを浮かべた。

「どう? そう考えると、君が顔を隠しているのが誇らしく思えないかい?」

いたずらっ子のような顔で、三枝さんは朝比奈君に笑いかけた。

朝比奈君は、その言葉を胸に受け止めるように小さく頷いた。