陽炎に揺れる夢

ちょっとだけ軽くなった心に、無理やり入り込んでいたテストが、ようやく終わった。

今日は決戦の日だ。

いつもより少しだけ力を込めて鞄を掴み、自分の席から立ち上がる。

そのタイミングで、

「遠野さん」

と声をかけられて、思わず、

「ひゃっ」

と、変な声が出た。

目を丸くして立っていたのは、並木さんだった。

「あはは、ごめんごめん。驚かしちゃったね」

両手を合わせて、拝むみたいに謝っている。

私は、ふるふると首を振る。

(大丈夫です)

並木さん。
ボータンのファンで、文化祭の衣装係。

朝比奈君のように、私を見つけてくれた人。

彼女は私の前に紙袋を差し出すと、

「確認してもらえるかな?」

と言って、中身を一つずつ机の上に出していった。

「これで大丈夫?」

私は、大きく頷く。

「良かった」

ほっとしたように笑って、

「それじゃあ、お願いします。時間かかっても大丈夫だから。遠野さんの空いた時間で作ってね」

と深々と頭を下げる。

「じゃあ、また来週。バイバイ」

そう言って、友達のところへ戻っていった。

(よし)

もう一度、鞄を掴みなおして、私は最寄りの駅へ向かった。

今日は電話をかけなければならないので、外よりも室内の方がいいだろうということになり、私の家で電話をすることになっている。

駅に着いて改札を出ると、背の高い学生が壁に寄りかかって、下を向いていた。

私は、朝比奈君の前を通り過ぎると、そのまま歩き続けた。

ちらりと後ろを振り返る。

そこには、不審者のように、私の後を追ってくる彼の姿があった。

家の玄関に着くと、私はそのままドアを開けて、朝比奈君が来るのを待った。

「どうぞ」

自分が誰かを家に招く日が来るなんて、信じられない気持ちがして、少しくすぐったい。

リビングに案内すると、朝比奈君は身の置き場がないみたいに、そわそわしていた。

「そこに座って。今、温かいの入れるね。
朝比奈君、コーヒー派? 紅茶派? それとも緑茶?」

そう尋ねると、

「どれも飲めるから、遠野と同じのでいい」

と返ってきたので、コーヒーを淹れることにした。

私は冷蔵庫から牛乳を取り出して、少しだけコーヒーに入れる。

「朝比奈君、牛乳とか砂糖とか入れる?」

と聞くと、

「大丈夫。ブラックで」

とのことだったので、そのまま出した。

朝比奈君は、冷えた手を温めるように、マグカップを両手で包み込んでいる。

「温かい……」

「ねぇ、さっき遠野、『また来週』って言われてたな」

「良かったね。少しずつ、遠野が誰かと話せているところを見られて、嬉しいよ。なんだか、俺まで救われてる気分になる」

そう言って、朝比奈君はとても優しく笑った。

「ありがとう」

「あのね、今日の電話の練習を、毎日声に出してやってたせいか、少しだけ言葉が出やすくなったみたい」

「だから、朝比奈君のおかげなんだよ」

私も笑顔で返した。

(見えないだろうけど)

エアコンが効いて、暖かな風が吹いてきた。
その風に乗るように、温かな沈黙が部屋の隅々まで行き渡っていく。

私はスマホを取り出して、ぎゅっと握りしめた。

(どうか、上手く伝えられますように……)

「よし。じゃあ、かけるね」

私は一度、朝比奈君の顔を見て、小さく頷き合う。

そして、オリオン・プロモーションの番号をタップした。

発信音が、やけに大きく部屋に響く。

一回、二回――。

その音を数えながら、私は無意識に息を止めていた。