陽炎に揺れる夢

久しぶりに朝比奈君の登場に、私のインスタは、いいねの数を更新し続けていた。

メッセージリクエストにも、相変わらず「あの男の子は誰ですか」と尋ねるものが多い。

その中に、気になるメッセージを見つけた。
私は朝比奈君をファミレスに呼び出した。

「これなんだけど…」

私は気になっているメッセージを朝比奈君に見せた。

そこにはこう書かれていた。

『私はオリオン・プロモーションのスカウト担当、三枝(さえぐさ)と言います。
失礼ながら、ボータンさんのInstagramに写っている男性のことを知りたく、メッセージをお送りしました。
もしこの方がモデルに興味をお持ちでしたら、こちらの宛先までご連絡をいただけるよう、お願いできませんでしょうか。』

この人からのメッセージが、数件入っていた。

朝比奈君はスマホに目を落としたまま、動かずにいる。

長い沈黙が続く。

一応、オリオン・プロモーションのことを調べてみた。
パリコレのような世界で活躍する日本人モデルが所属している、大手のモデル事務所らしい。

詐欺でなければいい。

できれば、私は彼の背中を押してあげたい――

そう思った。

祈るような気持ちで、私は朝比奈君を待った。

「無理だよ…」

前から聞こえたその声は、消え入りそうなくらい小さく、かすれていた。

朝比奈君の顔は、とても悲しそうで、どこか苦しそうだった。

胸がぎゅっと締めつけられる。

わかっていた。朝比奈君がそう言うだろうことは。

それでも私は…

「朝比奈君」

「私は今、朝比奈君の言葉を待っていたよ。とても長く感じた」

「無理だと言うまで、どうしてそんなに時間がかかったの?」

朝比奈君は、スマホの画面から視線を上げようとしない。

彼に纏わり付く陽炎が、いつもより強く空間を歪ませているように見えた。

「やりたいって思ったから…じゃないかな。
本当は無理だって言いたくなかったんじゃないのかな」

その言葉に、朝比奈君の肩がビクンと小さく跳ねた。

「私も同じだから」

「朝比奈君が全てを諦めている気持ち、よくわかる。さっきよりも、朝比奈君の周りの陽炎は強く見えるし…」

「でも、諦めるってことは、その分だけやりたいってことなんだよね」

「私は、朝比奈君に救ってもらった」

「教室で必死に自分の存在を消していた私を、朝比奈君が見つけてくれたの」

「今では、クラスのみんなから『おはよう』って声をかけてもらえるようになった」

「ボータンの作品が可愛いって、色んな人が話しているのを耳にするようになったのも、朝比奈君が協力してくれたから」

「だから、私も朝比奈君の力になりたいの」

朝比奈君はようやくスマホから視線を外し、私を向いた。

「諦めるなら、当たって砕けようよ」

その瞳は大きく開かれ、真っ直ぐ私を見つめてきた。

「三枝って人が貼ってくれた電話番号を調べたら、ちゃんとオリオン・プロモーションの番号だったよ」

「携帯番号は調べられなかったから、03から始まる番号に電話してみよう。それで、三枝って人がいるか聞いてみようよ」

「私がかけてみるから」

朝比奈君は極度のあがり症だと言っていた。
初めてのところに電話をするのは難しいだろうと思い、そう提案した。

朝比奈君は両手をぎゅっと握りしめた。

その拳は、小さく震えている。

「そう…だよな…」

「一歩踏み出してみないと、やれるかどうかもわからないもんな…」

「もし俺と会ってダメだと思ったら、向こうから断ってくるかもしれないし…」

「そしたら…本当に諦められるかもしれない…」

小さかった声は、少しずつはっきりと聞こえるようになってきた。

自分の中の怖さと憧れが、戦っているのだろう。

私たちはとっくに、自分を縛り付けていた鎖から解き放たれている。
自由になっていいはずなのに、勝手に作り上げてしまった『周りの目の恐怖』が、まだ心に残っている。

(朝比奈君が一歩踏み出せたら、きっと私も…)

苦しそうな顔で、でも今、そこから抜け出そうと足掻いている朝比奈君を目の前に、私はとても自分勝手な願掛けをしてしまっていた。

ふっと、握られていた手が開いた。

私は朝比奈君の顔を見るために顔を上げる。

すると、同じようにこちらを見た朝比奈君と視線がぶつかった。

朝比奈君も、私が見ていることに気づいたのだろう。

その目は真っ直ぐに私の目――私の前髪――に向けられている。

そこには、もう迷いは感じられなかった。