君に捧げるラスト・トス!

初戦の快進撃はフロック(まぐれ)ではなかった。
「二刀流セッター・星野梨央奈」を擁する東中は、全国の並み居る強豪を次々と撃破し、ついにトーナメントの頂点――全国大会決勝戦の舞台へと上り詰めた。
決勝の相手は、大会3連覇を狙う絶対王者。
試合は互いにセットを取り合う死闘となり、運命は最終第3セット、24対24のデュースへと持ち込まれた。
体育館中を包む、張り詰めた空気。
「梨央奈、ラスト、持ってこい……っ!」
息を切らし、ユニフォームを汗で濡らした夏帆が叫ぶ。その瞳には、かつて地区予選で見せたような悲壮感はなかった。あるのは、梨央奈への絶対的な信頼だけだ。
バシィッ!
相手の強烈なサーブを、東中のレシーバーが執念で上げる。ボールはネット際へ。
(ここだ――!)
梨央奈は鋭く床を蹴り、宙へと舞った。
相手ブロックの3人が、梨央奈のツーアタックを警戒して一斉に跳び上がる。
「打たせるかぁ!」
だが、梨央奈は空中で一瞬、静止したかのような錯覚の中、しなやかな指先でボールの軌道を変えた。
――バックトス。
ディフェンスの意識を限界まで引きつけ、完全にノーマークになったレフトへ、これ以上ない極上のボールを供給する。
「おおおおおっ!!」
そこへ飛び込んできたのは、キャプテン・白石夏帆。
遮るもののない空中から、夏帆の右腕が爆音とともに振り下ろされた。
ドガァァァァンッ!!!!
相手コートの奥深くに突き刺さる、弾丸スパイク。
ビィィィーーーッ!!!
「マッチォォォンッ、東中!」
主審のコールと同時に、会場全体が割れんばかりの大歓声に包まれた。
「やったぁぁぁぁーーーっ!!!」
「日本一だ!!!」
ベンチから部員たちが泣きながらコートへなだれ込んでくる。
その狂騒の中心で、夏帆は一目散に梨央奈のもとへと駆け寄り、勢いよくその身体を抱きしめた。
「梨央奈! 梨央奈ぁっ! 勝った、勝ったよ……! 私たち、日本一になったんだよ!」
「……っ、はい、先輩……!」
抱きしめられた梨央奈の胸に、夏帆の激しい鼓動と、熱い体温がダイレクトに伝わってくる。すれ違いざまにずっと鼻腔をくすぐっていた、あの少し甘い制汗シートの匂いが、今は至近距離で梨央奈を包み込んでいた。
嬉しさと、愛おしさと、そして「これで終わってしまう」という切なさが一気に押し寄せ、梨央奈の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

その日の夜。
大会の閉会式と宿舎での祝勝会が終わり、部員たちが疲れ果てて眠りについた頃。
梨央奈は夏帆に呼び出され、静まり返ったホテルの屋上庭園へと向かった。
夜風が、梨央奈の短い髪を揺らす。
フェンスに寄りかかり、夜景を眺めていた夏帆が、足音に気づいて振り返った。
「あ、梨央奈。お疲れ様。急に呼び出しちゃってごめんね」
夏帆はそう言って、いつもの太陽のような笑みを浮かべた。
「ううん、大丈夫です。……先輩こそ、疲れてるんじゃ?」
「うーん、アドレナリンが出っぱなしで眠れなくてさ。……それより、約束、覚えてるよ」
夏帆は一歩、梨央奈へと近づいた。
月明かりに照らされた夏帆の瞳が、真っ直ぐに梨央奈を見つめる。
「『全国大会で勝ったら、ひとつだけわがままを聞く』ってやつ。私たち、最高の形で勝ったもんね。何でも言って? 日本一のセッターへの、キャプテンからのご褒美だよ」
夏帆は冗談めかして微笑む。けれど、梨央奈の表情は真剣そのものだった。
梨央奈は一歩、夏帆との距離を詰める。手の届く距離。夏帆の少し甘い香りが、夜風に乗ってふわりと漂った。
梨央奈は夏帆の右手を、両手でぎゅっと包み込んだ。
あの日、入学式の体育館で、夏帆が自分にしてくれた時のように。
「……梨央奈?」
夏帆がその熱量に驚いたように、小さく目を見張る。
「先輩。私のわがままは……高校に行っても、私の前を走り続けてほしい、ということです」
「え……?」
「私、最初はバレーが孤独でした。誰も私と同じ熱さで戦ってくれなかった。でも、夏帆先輩に出会って、初めて『この人のためにトスを上げたい』って思ったんです。この人の打つスパイクが大好きだって、心の底から思えたんです」
梨央奈の瞳から、またぽろぽろと涙が溢れ出す。
「先輩が引退しちゃうの、本当に寂しいです。嫌です。……だから、これが私のわがままです。高校でもバレーを続けてください。そして、私がそこの高校に行くまで、待っていてください。……先輩の特別な相棒(バディ)の席、誰にも渡さないでください」
溢れ出たのは、バレーへの情熱。そして、それを借りて伝えた、紛れもない「恋心」だった。
夏帆はしばらく呆然と梨央奈の言葉を聞いていたが、やがて、その瞳を優しく細めた。
そして、包まれていた右手を引き抜き――今度は梨央奈の涙を拭うように、その両頬を優しく包み込んだ。
夏帆の手の手のひらは、夜風の中でも驚くほど熱かった。
「バカだなぁ、梨央奈は」
夏帆は愛おしそうにクスクスと笑った。
「そんなの、わがままでもなんでもないよ。私もね、梨央奈以外のトスじゃ、もう満足できない身体にされちゃったんだから」
「先輩……」
「約束する。私、もっともっと強くなって、高校のコートで待ってる。だから、すぐに追いかけてきて。私の最高のセッター」
夏帆はそう言うと、梨央奈の額に、自分の額をコツンと優しく当てた。
至近距離で重なる吐息。熱い体温。
「大好きだよ、梨央奈。これからもずっと、よろしくね」
その「大好き」が、どんな意味だったとしても。
梨央奈の胸の奥の炎が消えることは、もう二度とない。
「……はい! 絶対に、すぐ捕まえに行きますから」
月空の下、天才セッターは涙を拭い、誰よりも愛おしい自分の「絶対的エース」に向かって、最高の笑顔を咲かせた。