君に捧げるラスト・トス!

春。桜の絨毯を新調したばかりのローファーで踏み締めながら、星野梨央奈は東中学校の校門をくぐった。
入学式を終え、真っ先に向かったのは体育館だ。
あの小学校時代の、どこか冷めた寂しさを引きずったまま、それでも梨央奈の身体はバレーボールを求めていた。
ギィ……と重い扉を開けると、ツンとしたワックスの匂いと、小気味いいボールの弾む音が鼓膜を震わせる。
「おい、新入生が来たぞ」
「あの子……もしかして、北斗JVCの星野じゃん!?」
入部届を手にコートへ近づくと、2年生の先輩たちがざわつき始めた。小学校時代の「全国区のエース」の噂は、すでにこの中学にも轟いていたのだ。
向けられる、羨望と、どこか警戒の混じった視線。梨央奈は「またこれか」と、胸の奥で小さく息を吐いた。どこに行っても、自分は「腫れ物」か「神格化される対象」なのだ。
だが、その冷めた空気を、一瞬で吹き飛ばす音が体育館に炸裂した。
――ドガァァァン!!!
鼓膜が破れるかと思うほどの、凄まじい衝撃音。
梨央奈の視線が、吸い寄せられるようにコートの中央へと向かう。
ネット際で着地し、ふわりと長い黒髪を揺らした女子生徒がいた。
左肩に「1」のキャプテンマークをつけた3年生――白石夏帆だった。
小学生の男の子顔負けの打点の高さ。そして、何より梨央奈の目を奪ったのは、そのスパイクの「重さ」と、打った本人の表情だった。
「よしっ! ナイスパス、今のトス最高!」
夏帆は満面の笑みでセッターの先輩とハイタッチを交わしている。
その瞳は、バレーボールができる喜びと、周囲を巻き込む圧倒的な熱量でキラキラと輝いていた。
(……すごい。なんて、楽しそうに打つ人なんだろう)
梨央奈の心臓が、ドクンと大きく波打った。
小学校時代のチームメイトは、梨央奈にトスを上げるとき、いつも「ミスしたらどうしよう」と怯えていた。けれど、あの先輩の周りには、そんなジメジメした空気は一切ない。ただ純粋に、バレーを愛する熱気だけが渦巻いている。
「あ、君が新入生の星野さん?」
いつの間にかスパイク練習を終えた夏帆が、タオルで汗を拭きながら、梨央奈の前に歩み寄ってきていた。
近くで見ると、背が高く、凛とした美しさがある。すれ違いざまにふわっと香ったのは、汗の匂いと、少し甘い制汗シートの香り。
「は、はい! 星野梨央奈です。入部届を……持ってきました!」
緊張のあまり思いきり噛んでしまい、梨央奈は顔を真っ赤にする。
周囲の2年生たちが「ぷっ」と吹き出す中、夏帆はクスクスと愛おしそうに笑うと、梨央奈の目を真っ直ぐに見つめた。
「噂は聞いてるよ。小学校の全国エース。うちに来てくれて嬉しいな」
嫌味も、嫉妬も、打算もない。
心からの歓迎の笑顔。そして夏帆は、梨央奈の右手を両手でぎゅっと包み込んだ。
「私は3年の白石夏帆。ポジションはレフト。梨央奈、これからよろしくね。……私に、最高のトスをちょうだい?」
「あ……」
夏帆の手のひらは、驚くほど熱かった。
その熱が、手のひらから腕を伝い、梨央奈の胸の奥へと一気に流れ込んでいく。
小学校時代、ずっと「打つ側(エース)」だった自分に、この人は「トスをちょうだい」と言った。
この人のために、ボールを上げたい。
この人の、あの最高の笑顔を、一番近くでプロデュースしたい。
「はい……っ! よろしくお願いします!」
梨央奈の声が、これまでになく弾んだ。
それは、孤独だった天才少女の胸に、「憧れ」という名の新しい火が灯った瞬間だった。