ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


『一緒に……行けない』

 静かだけれど覆る気配のない響きで、そう告げられた夜から。
 俺は、自分から彼女に触れることができなくなってしまった。

 遮光カーテンに閉ざされた寝室は、月明かりすら入り込まない濃密な闇に包まれている。
 外の熱帯夜から隔たれ、機械が絶え間なく冷やしていく空間。
 同じベッドに横たわっているというのに、二人の間には、見えない境界線が引かれているように感じる。

 これは、どちらが作ったものなのだろう。

 マナは時折、寝返りを打つとともに俺の胸元へ顔を埋めてきた。
 そのときだけ、ひどく慎重に、手のひらを艶やかな黒髪へ添えた。
 それが今できる精一杯の愛情表現であり、ギリギリの防衛線だった。

 もしも力強く腕を回し、柔らかい身体を抱きしめてしまったら。
 俺の奥底に渦巻く醜い渇望が、堰を切ったように流れ出してしまいそうだった。

『やっぱり一緒にいたいって、言えよ』

 彼女が身を切る思いで下した決断も、そうやって突き返してしまいそうだった。