ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。

 ◇

 あれから数日が経った。
 マナは日本に残るとも、ついていくとも口にしない。

 俺からも聞けなかった。
 聞けなかったのだ。

 離れたくない。でも――。

 彼女が美容師として築いてきたものを思えば、これ以上は踏み込めない。
 付き合った時や結婚した時は、戸惑う彼女を半ば強引に押し切ったけれど、今はそれができなかった。

 マナ自身の意思で、一緒に来てほしい。
 口に出せない願いだけが、胸の奥で燻っている。

 出発まで一か月を切っている赴任への準備は、感情を整理する隙すら与えてくれず、帰宅が深夜に及ぶ日が続いた。

 それでも、マナは必ず起きて待っていた。

 言葉を交わさず、目も合わせないまま。
 玄関で迎えてくれるその身体を、毎晩のようにベッドへと引きずり込んだ。

 エアコンの冷気で満ちる部屋の中、無我夢中で肌を重ね合わせる。
 壊れるほど強く抱きしめる。
 繋がっているという事実だけを頼りに、二人に迫る暗闇を掻き消そうとした。
 ずっと側に閉じ込めたい衝動と、縛りたくない理性がせめぎ合い、やり場のない熱だけが(ほとばし)る。

 重なる唇の感触、背中に回される指先の微かな力、時折ぎゅっと目を瞑る表情。
 そのすべてから、彼女の奥底にある『何か』を確かめようと躍起になっていた。

 けれど、どれだけ深く交わっても、焦燥感は拭えない。

 いつもなら、事後すぐに腕の中で眠りにつくはずのマナ。
 今は、ただ瞼を閉じているだけだ。

 その胸の上下は、不規則で、浅い。
 心地よい寝息の音もしない。

 俺も息を殺し、貫かれる沈黙の重さに耐え続けていた。