ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


 分厚いガラスの向こう側で、アスファルトを焦がすような太陽が白く燃えている。
 一方で、空調が必要以上に効いたオフィス内。首筋を這う人工的な冷気を感じながら、俺は乾いたプラスチックの打鍵音だけを規則正しく刻んでいた。

 あちこちから響く電話の音や、絶え間なく交差する誰かの話し声。
 その無機質な喧騒を縫うようにして、頭上から甘ったるい声が降ってくる。

「幹本さあん。今日のシャツ、素敵ですね」

 タイピングの手を止めず、視線だけを斜め上に向けた。

 ベージュのシフォンブラウスに、膝丈の花柄のスカートというフェミニンな装い。
 部署のアシスタントをしている、新卒の女性社員だ。

 胸元に抱きかかえられたクリアファイルが、蛍光灯の光を反射している。

「これか。奥さんにもらった」

 正確には、一緒に買い物へ行った際に選んでもらったものだけれど。

 綺麗に描かれた眉が、ピクリと引き攣っていた。
 それを一瞥し、モニターの青白い光へと視線を戻す。

 しかし、彼女は横に留まったまま、さらに声を張ってくる。

「へえっ! 奥さん、センスいいんですね。幹本さんの二つ上でしたっけ。二十六歳……ですか?」

 ひっそり込められた棘は気にも留めず、前を向いたまま答える。

「誕生日過ぎてるから、二十七」

「二十七歳かあ。大人ですねえ?」

 年齢を強調するような挑戦的な嫌味に対し、唇の端だけで意味深な弧を描いてみせた。


「あー。『大人』、だよ?」

 その裏に、俺たちの気配を意図的に匂わせて。


 彼女は一瞬息を詰まらせたあと、「……へえ!」と上擦った声を残して去っていった。