ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


「たまには別の人にカットしてもらいたいとか、ある?」

 ふと気になって尋ねると、迷いのない答えが返ってきた。

「いや? 普通にマナが一番上手いし」

 ストレートな褒め言葉に、思わず心臓が跳ねる。

「……そ、そう……?」

 照れた私をすぐに察知し、からかうような視線を送ってきた。
 それから逃れるように、慌てて話題を切り替える。

「……っ、ハルの仕事は? 最近、どんな感じ?」

「特に変わらず」

 総合商社に勤める彼の仕事は、毎日鏡の前でお客様の髪と向き合い続ける美容師の私からすると、まるで想像もつかないような規模の世界だ。

「今は、エネルギー系の部署だよね」

「そう」

「えっと……海外で石油とか掘ったり?」

「いや。今は、液化天然ガスの権益確保とか、次世代向けの水素サプライチェーンの構築とか。まあ、ざっくり言うと、海外の企業と交渉して、日本に安定してエネルギーを運ぶ仕組みを作ってる」

 何か質問すればいつも端的に教えてくれるけれど、専門外の私には、頭の片隅を文字が通り過ぎていくだけだ。
 分かったふりをして「うんうん」と頷いてみせるものの、ハルは見透かしたような目を向けていた。

「『ふーん。よく分かんないけど』って思ってない?」

「えっ、なんでバレたの」

「マナのことは、全部お見通し」

 トン、と軽い衝撃。
 細い指先で、額に優しくデコピンを落とされた。