ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。

 ◇

 駅の改札前。
 シンプルなTシャツにチノパンを合わせ、縁の細い眼鏡をかけた休日モードのハルが立っていた。

 私に気づき、その顔を上げる。

「ごめんっ。お待たせ」

「ん」

 短い返事とともに改札を抜ける背中を追いかけると、ふわっと微かな塩素の匂いがした。
 休日である今日は、この待ち合わせの前にプールへ寄ってきたらしい。
 幼少期から大学まで続けていた水泳を、今でもこうして時折の息抜きにしているのだ。

 隣に並ぶとすぐに、大きな手のひらが差し出された。
 指先を絡ませながら、ホームへの階段をのぼっていく。


 郊外へ向かう下り電車は、週末の夕暮れ時ということもあって空いている。

 ここから揺られること、一時間。
 目的地は――私の実家だ。

 車体が小さく揺れ、滑るように駅を出発する。

「今日ね、香坂先生が来てくれたんだ」

「あー。元気だった?」

「うん、変わらず。旦那さんもお元気だって」

 単調な走行音に紛れるような、他愛のない会話。

 繋がれた手は、彼の膝の上に置かれている。
 いつもより少しだけ、優しい力強さを感じた。