ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


 戻ってくる前に寝てやると決意し、強く瞼を閉じていたのに、水音はあっという間に止んだ。

 微かな湿気を纏った気配が近づく。
 私が身体を向けていた先のスペースに、ドサッと沈み込んできた。

「……ちょっと。乾かさないと、キューティクル傷むよ?」

 パジャマ姿の濡れた髪を前に、たまらず小言をこぼしてしまった。
 職業柄、どうしても見過ごせない。

「じゃあ、マナがやって」

 そう言うが否や、こちらの返事も待たずに洗面所からドライヤーを持ってくると、ベッドの上にあぐらをかいて座り込んだ。
 渋々上体を起こして背後に回り、スイッチをカチッと押し込んだ。

 静かな寝室に、低い駆動音が響き渡る。

 細く柔らかな髪を指の腹で掻き分けながら、根元から丁寧に風を当てていく。
 水分を吸って少し重たくなっている髪。温風を当てると、シトラスの香りがふわりと立ち昇った。

 いつもなら「乾かしてあげようか?」と声をかけても「いい」と断られるのに、珍しい。
 サロンに来てくれるときも、ほとんどの時間を黙って過ごしているし、他人に髪を触られること自体があまり好きではないのだろうと、勝手に思っていたくらいだ。