ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。

 ◇

 遠い記憶の余韻に浸り、早く家に帰りたくなっていた頃だった。

「久しぶり」

 目の前に見覚えのある人物が立つ。
 適度な距離を空けて隣に腰を下ろしたのは、鈴原だった。

「結婚したんでしょ? 高校のとき、付き合ってた先輩だっけ」

 共通の知り合いからでも聞いたのだろう。

「うん」

「綺麗な人だったもんね」

 どうやら、あの冷たい雨の日のことを、彼女も覚えているらしい。

「まあ、黙ってると」

 長い黒髪に、頬のほくろ。女性としては、高めの身長。
 そんなマナは、初対面だとアンニュイな印象を抱かせる風貌をしているけれど。

「喋ると、どうなの?」

「面白い」

 口を開けば百面相なのだ。

「じゃあ、最高だね」

 惚気を隠さない俺を見て、愉快そうに小さく笑っている。

「もう、終わりそうだね。二次会行くの?」

 鈴原の言葉に、周囲を見渡す。
 すでにラストオーダーの時間は過ぎ、すっかりお開きの空気が漂っていた。

「いや、帰るわ」

「ふうん。私も」

 彼女がグラスの底に残っていたわずかなレモンサワーを飲み干すと、氷の音がカランと鳴った。


「一緒に、帰る?」


 その横顔は、静かな微笑みを浮かべていた。

「……一人で帰る」

 一瞥だけして淡々と返すと、彼女は再び楽しそうに目を細めた。

「冗談だって〜」

 相変わらず掴めない性格をしている。