ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。


 鍵穴でキーが回る無機質な音が、やけに大きく響いた。

 土曜日の疲れとともに、少しひんやりとした闇に足を踏み入れる。
 パチン、と乾いた音を立てて壁のスイッチを押す。
 一気に部屋を照らすその明るさに、思わず目が眩んだ。

 いつもなら、眼鏡をかけたオフモードのハルが「おかえり」と低い声をかけてくれるはずのリビング。
 その空間には今、廊下から流れ込んだ微かな風の匂いしかない。

 無垢材のダイニングテーブルに、コンビニのポリ袋から取り出したプラスチックの容器を並べる。
 千切りキャベツ中心のサラダ、茹で卵、梅のおにぎり。
 手軽さと、栄養の数字だけを重視した食事だ。

 普段なら、一週間で最も慌ただしい一日を終えたご褒美が待っている。
 湯船にゆっくりと浸かり、冷えたビール缶を開け、今日あった出来事をハルに聞いてもらう、満ち足りた時間。

 けれど、今夜は浴槽に湯を張る気力が湧かなかった。

 ぬるめのシャワーで手早く汗を洗い流し、髪を乾かすとすぐにベッドへ滑り込んだ。
 リネンのシーツは、まだ体温を知らずに冷たい。