ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。

 ◇

 マナは今日、仕事のあと友人と飲みに行っている。
 鍵を回し扉を開けても、廊下の奥に明かりはなかった。

 時刻は、十時半。
 久しぶりに会うらしいので、盛り上がっているのだろう。

 照明をつけないまま、鞄をダイニングチェアに置いた。
 ネクタイに指をかけたところで、テーブルの上でスマートフォンが震え出す。

 画面に浮かんだのは——『茉奈(マナ)』。

「はい」

『あっ、ハルくん? 久しぶりー。ミズキでーす』

 しかし、聞こえてきたのは別の声。
 そして背後では、喧騒が鳴っている。

「……あー。お久しぶりです」

『実はー、マナが酔い潰れちゃってー……』

「…………」

 電話の向こうから『えへ、ごめん。飲ませすぎちゃったかも』と、悪びれない苦笑いが届いた。

 ◇

 幸い、家から歩いて行ける距離の店だった。

 友人から引き渡された妻は、呼びかけても瞼が半分しか開かない。
 腕を支えて歩かせようと試みたものの、これでは夜が明けそうだった。

 諦めて背を向け、屈む。

「頼りになるうっ!」

 上機嫌の声に見送られ、路地を出た。
 こんなときに限って、タクシーの一台も見当たらない。