城の中が眠りにつく頃、マティアスは蝋燭の灯りの下で書類に目を通していた。
コンコン……
「失礼します」
軽いノックと共に入って来たのは、ディルクだった。
お茶の入ったカップを目の前に置くと、黙ったままマティアスを見た。
「……なんだ?」
「エルヴマ国から聖女が逃げ出したようです」
「そのようだな」
昨日、耳に入った一報。
マティアスは他人事ように返事を返し、視線すら上げようとしない。
「あの娘によく似た聖女ですが……これは偶然でしょうか?」
手配書として送られてきた姿絵は、先日マティアスが助けた娘、シャリーと瓜二つだった。と言うか、本人そのもの。見間違える方がおかしいレベルだ。
「自分に似た者は世界に三人いるらしいぞ」
「殿下!」
なおも誤魔化そうとするマティアスに、ディルクが堪らず声を張り上げた。
このままあの娘を匿えば、国同士の問題になり得るやもしれない。相手は悪評高いエルヴマ国だ。あの手この手で因縁を付けて来るに違いない。
(シャリーには申し訳ありませんが、早めに手を打たなければ)
顰めた顔で今後の対応について考え込んでいると、蝋燭の火が激しく揺れ動いた。顔を上げてみると、ジッと睨みつけるマティアスと目が合った。
「ディルク、余計な詮索は止めろ。彼女に手を出したら、流石のお前でも容赦しないぞ」
柔らかな火を映す瞳は恐ろしい程に美しいが、確実に怒気を含んでいる。
(あの娘の何処をそんなに気に入っているのか……)
言葉にはしないが、不満は顔に滲んでいる。
「お前も見ただろ?ここへ運んできた時の彼女の姿を」
マティアスがシャリーを抱えた時、まずその身体の軽さに驚いた。顔はやつれ、顔色は酷く悪かった。目の下には色濃く付いた隈が、彼女が受けてきた仕打ちを物語っているようだった。
(今も変わらぬ扱いを受けてきたのか……あんなにも脆い体で……)
そう思うに至るには、ちゃんとした理由があった。
実は一度だけ、彼女を目にした事がある。
あれは一昨年、数年に一度開かれる国際会議の開催地がエルヴマ国だった。エルヴマの国王は聖女を装飾品のように側に置き、得意げに見せつけていた。その聖女というのが彼女だった。
顔色は青白く、生気を失った瞳からは感情すらも消えているように感じた。人形のように主人の元に置かれ、黙ったままジッと動かない。
同情するには十分すぎる扱いだった。
数時間後。会議を終え、続々と席を立ちその場を後にしていく他国の王達。僕は一番最後に席を立った。
広間を出た瞬間、パーン!と頬を打つ音が響き渡った。慌てて扉を閉めようとする衛兵らの隙間から、彼女が床に倒れているのが見えた。
国王が何を言っているのかは分からなかったが、理不尽に怒鳴られていることだけは分かった。
地面に頭を擦り付ける彼女の頭に足を乗せ、更に怒鳴りつける国王を見て、初めて殺意と言うものが芽生えた。
国へ戻ってきた僕は、秘密裏に彼女の事を調べ、どうにか助けられないか策を練っていた。
あの日も、安全に気付かれることなく完璧に逃げ切れるよう、逃走経路を調べに国境付近まで出向いた矢先、崖下で倒れている彼女を見つけた。
すぐに駆け寄り、真っ先に息がある事を確かめた。幸いな事に息はあり、骨も折れていないようだった。
──とはいえ、重傷には変わりない。
今まで酷い目に合ってきたのだ。心身共にゆっくり休める環境を整えたはずだったが、彼女は傷が癒えてくると、自分の居場所を求めるように仕事を要求して来た。
何度も侍女を泣かしているので、遂には「どうにかしてくれ」と侍女頭から苦言を呈されてしまった。
まず、彼女を手放すという選択肢はなかった。そうなると、残されるのは一つのみ。
そこで、彼女に『王太子付きの侍女』と言う職を用意した。当然、ディルクからは反感を貰うのは想定していたが、彼女からも貰うとは想定外だった。
それらしい理由を付けて、なんとか引き止める事が出来た。
「彼女自身が聖女でないと言っているんだ。それ以上の理由はないだろ?」
彼女を冷遇し、道具のように扱う奴らの元には帰さない。
「……知りませんよ?」
「周りを黙らせる事には慣れてる」
覚悟は出来ていると言わんばかりの清々しい表情だった。
これには、ディルクも呆れたように息を吐いた。
(まったく、我が主は…)
この人の事だ。最初から肚は決まっていたのだろう。
「私がクビになったら、退職金は奮発して下さいね」
「任せておけ。生涯暮らせる分はくれてやる」
軽口を叩きながら、空になったカップに茶を注ぎ入れた。
コンコン……
「失礼します」
軽いノックと共に入って来たのは、ディルクだった。
お茶の入ったカップを目の前に置くと、黙ったままマティアスを見た。
「……なんだ?」
「エルヴマ国から聖女が逃げ出したようです」
「そのようだな」
昨日、耳に入った一報。
マティアスは他人事ように返事を返し、視線すら上げようとしない。
「あの娘によく似た聖女ですが……これは偶然でしょうか?」
手配書として送られてきた姿絵は、先日マティアスが助けた娘、シャリーと瓜二つだった。と言うか、本人そのもの。見間違える方がおかしいレベルだ。
「自分に似た者は世界に三人いるらしいぞ」
「殿下!」
なおも誤魔化そうとするマティアスに、ディルクが堪らず声を張り上げた。
このままあの娘を匿えば、国同士の問題になり得るやもしれない。相手は悪評高いエルヴマ国だ。あの手この手で因縁を付けて来るに違いない。
(シャリーには申し訳ありませんが、早めに手を打たなければ)
顰めた顔で今後の対応について考え込んでいると、蝋燭の火が激しく揺れ動いた。顔を上げてみると、ジッと睨みつけるマティアスと目が合った。
「ディルク、余計な詮索は止めろ。彼女に手を出したら、流石のお前でも容赦しないぞ」
柔らかな火を映す瞳は恐ろしい程に美しいが、確実に怒気を含んでいる。
(あの娘の何処をそんなに気に入っているのか……)
言葉にはしないが、不満は顔に滲んでいる。
「お前も見ただろ?ここへ運んできた時の彼女の姿を」
マティアスがシャリーを抱えた時、まずその身体の軽さに驚いた。顔はやつれ、顔色は酷く悪かった。目の下には色濃く付いた隈が、彼女が受けてきた仕打ちを物語っているようだった。
(今も変わらぬ扱いを受けてきたのか……あんなにも脆い体で……)
そう思うに至るには、ちゃんとした理由があった。
実は一度だけ、彼女を目にした事がある。
あれは一昨年、数年に一度開かれる国際会議の開催地がエルヴマ国だった。エルヴマの国王は聖女を装飾品のように側に置き、得意げに見せつけていた。その聖女というのが彼女だった。
顔色は青白く、生気を失った瞳からは感情すらも消えているように感じた。人形のように主人の元に置かれ、黙ったままジッと動かない。
同情するには十分すぎる扱いだった。
数時間後。会議を終え、続々と席を立ちその場を後にしていく他国の王達。僕は一番最後に席を立った。
広間を出た瞬間、パーン!と頬を打つ音が響き渡った。慌てて扉を閉めようとする衛兵らの隙間から、彼女が床に倒れているのが見えた。
国王が何を言っているのかは分からなかったが、理不尽に怒鳴られていることだけは分かった。
地面に頭を擦り付ける彼女の頭に足を乗せ、更に怒鳴りつける国王を見て、初めて殺意と言うものが芽生えた。
国へ戻ってきた僕は、秘密裏に彼女の事を調べ、どうにか助けられないか策を練っていた。
あの日も、安全に気付かれることなく完璧に逃げ切れるよう、逃走経路を調べに国境付近まで出向いた矢先、崖下で倒れている彼女を見つけた。
すぐに駆け寄り、真っ先に息がある事を確かめた。幸いな事に息はあり、骨も折れていないようだった。
──とはいえ、重傷には変わりない。
今まで酷い目に合ってきたのだ。心身共にゆっくり休める環境を整えたはずだったが、彼女は傷が癒えてくると、自分の居場所を求めるように仕事を要求して来た。
何度も侍女を泣かしているので、遂には「どうにかしてくれ」と侍女頭から苦言を呈されてしまった。
まず、彼女を手放すという選択肢はなかった。そうなると、残されるのは一つのみ。
そこで、彼女に『王太子付きの侍女』と言う職を用意した。当然、ディルクからは反感を貰うのは想定していたが、彼女からも貰うとは想定外だった。
それらしい理由を付けて、なんとか引き止める事が出来た。
「彼女自身が聖女でないと言っているんだ。それ以上の理由はないだろ?」
彼女を冷遇し、道具のように扱う奴らの元には帰さない。
「……知りませんよ?」
「周りを黙らせる事には慣れてる」
覚悟は出来ていると言わんばかりの清々しい表情だった。
これには、ディルクも呆れたように息を吐いた。
(まったく、我が主は…)
この人の事だ。最初から肚は決まっていたのだろう。
「私がクビになったら、退職金は奮発して下さいね」
「任せておけ。生涯暮らせる分はくれてやる」
軽口を叩きながら、空になったカップに茶を注ぎ入れた。



