冷遇され続けた聖女は、隣国で王太子付き侍女になって人生謳歌します

 ──ここは、モヘルタと呼ばれる国。

 エルヴマ国よりも面積が大きく人口も多い。外交が盛んで、港には大小様々の船が停泊している。
 街には活気があって、行きかう人達は笑顔で挨拶を交わし、穏やかな空気が国全体に広がっている。

 私は今、この国で王太子付きの侍女をやっている。

 国を捨てたあの日、何とか国境まで逃げる事はできたが、前日に降った雨で地面がぬかるみ、足を取られてしまった。運が悪い事に、転げた先が崖になっていて、気付いた時には私の体は宙に投げ出されていた。

 折角ここまで逃げてこられたのに、やっぱり運命は変えられないのかと、神様を呪ったのを最後に気を失った。

 そうして、目を覚ましたら豪華絢爛な部屋にいた。

「目が覚めたか?」

 声のした方を見ると、寝起きの目には眩しほどの御仁が立っていた。見るからに只者じゃないオーラを放ちながら側に寄ってくる。

「……随分と疲れているようだな。隈が酷い」

 ソッと大きな手が頬に伸びて来るのが見え、反射的にビクッと体を震わせてしまった。

(しまった…!)

 この人からは悪意を感じなかった。心配してくれているのも嘘じゃない。頭では分かっていても、身体はそうは思わない。長年受けてきたものは、そう簡単に払拭は出来るものではない。外傷は治せても心の傷は易々と治せない。

 重くて苦しい沈黙が流れる。

「……すまない。女性の身体に軽々しく触れるべきではなかった」
「え」

 謝罪されるなんて、この世界では初めての事。どう返していいのか分からず困惑してしまった。

「傷が癒えるまでゆっくりしているといい。何かあったらそこのベルを鳴らしてくれ」
「え、いや、あの……」
「また来る」

 素っ気ない態度で言い残し、部屋を後にして行った。

 この状況について説明して欲しかったが、私の様子を見て配慮してくれたのだろうか?
 体を見れば、怪我の手当もしてくれてある。力を使えばこの程度の傷はすぐに治せるが、そんな事をすれば聖女だと言うことがバレてしまう。

 先程の彼なら黙っていてくれそうな気はするが、念には念を入れた方がいい。

(それにしても…)

 改めて部屋を見渡すが、あまりの広さに驚きを通り越して魅入ってしまう。
 すきま風の入らない扉に、穴の空いていない壁。陽が燦々と射し込む大きな窓の側には、切りたての花が生けられた花瓶。そして、体が沈みそうなほどフカフカの布団は感動の境地。

 まるで、御伽噺の出てくるお姫様の部屋のよう。こんな豪華な部屋は、前世でもお目にかかったことが無く、寝心地はいいが何となく落ち着かなかった。


 ***


「貴方は行く当てがないと話しているようですが、本当ですか?」
「恥ずかしながら……」

 傷が癒えた頃、ディルクが私の元へやって来て尋問が行われた。

 そこで私は聖女という事を隠し、名を”シャリー”と名乗った上で、実の両親に捨てられた身だと伝えた。頼れる身内もおらず、行く当てがないので国を転々としていると。ウソと真実を混ぜ込んでみたが、ディルクの視線は厳しいものだったのを覚えてる。

 ベッドを出れたのは、それから一週間後の事だった。
 この7日間、ほとんどベッドから出れていない。お腹が空けば、誰かが温かい食事を持ってきてくれるし、毎日洗いたての服やシーツが用意され、身の回りの事は手早く片付けられてしまうので、私が動く隙がなかった。

 上げ膳据え膳の夢のような生活なのに、身体に染み付いた社畜の本能が拒絶反応を見せてきた。

「あ、あの、な、何か、仕事をぉ……!」
「ヒィィ!」

 瞳孔ガン開きで、床を這いつくばりながら迫る姿はさながら幽鬼のようで、折角来てくれたメイドの子を驚かせてしまった。

「貴方、何度目です?」
「すみません…」

 背後に半泣きのメイドの子を庇いながら目を光らせているのは、王太子殿下の側近であるディルク・オルブライト。
 黒縁メガネが良く似合うインテリ男子。と、同時にヒシヒシと感じるドS感。

 叱られ慣れしているせいか、蔑まされる程度なら屁でもない。謝罪すらも苦でない社畜の悲しき性。

 こんな光景も今や見慣れたものになりつつあり、部屋の前を通る者達は「またか」という表情(かお)で苦笑を浮かべながら通り過ぎていく。

「ディルク、そこら辺にしてやれ」
「殿下」

 クスクスと笑いながら部屋に入って来たのは、私が目を覚ました時に側にいた男性……この国の王太子であるマティアス・ザウアー=グラッツェル。崖の下で私を見つけて、この城に運んでくれたのもこの人。

 やんごとなき御仁だと思っていたが、まさかの王子様だと知った時は過去一で驚いた。私の知る王子様ってのは、自己中で下品な笑顔を振りまきながら女性を侍らかせ、気に入らない者がいれば問答無用で切り捨てるような奴だった。

 それに比べ、マティアスは本当に絵本から出てきた王子様みたいな人だった。容姿端麗で気品があって、正体不明の私にも優しくしてくれる器量持ち。使用人達の顔を見れば慕われているのがよく分かる。婚約者はいないようだが、縁談は各国からやってきているらしい。

 そんなマティアスは少し考えたような仕草を見せた後、ゆっくり口を開いた。

「ん~……そうだな。僕専属の侍女が欲しいと思っていた所だ。どうだ?やってみるか?」
「え!?」
「なッ!」

 私だけではなく、ディルクまで声を上げた。

「何を考えているんです!?こんな得体の知れない娘を側に置くつもりですか!?」
「そうですよ!よく考えてください!」

 すぐさまディルクが責め立てるのを見て、私も同調しながら考え直すように言った。

 仕事は欲しいが王太子専属なんて、いわば秘書のようなもの。拾われて来た私が、先輩侍女を差し置いて役職に就くなんて火種にしかならない。

「私は雑用で十分なんです。そんな大役は私には務まりません。辞退させていただきます」
「まあ、話を聞け」

 一考を促す私に対し、マティアスは呑気にソファーに座って柔らかな笑みを浮かべている。

「君を側に置くのは二つ理由がある。一つは君の監視と安全だ」

 人差し指を立てながら、落ち着いた表情で話を続ける。

「誤解しないように言うが、君の事を信用していない訳じゃない。だが、周りはそうは思わない。この城に異分子な存在は要らないという者も少なくない。君の身に危険が及ぶかもしれないが、王太子(ぼく)付きの者だと分れば手を出せにくくなる」

 なるほど…と感心しながら真剣に耳を傾けた。

「そして、二つ目は」そう切り出すマティアスに、ゴクッと息を飲み答えを待った。

「単純に側にいたら面白そうだから」
「は?」

 あまりにも得意気に言われたもんだから、自分の耳を疑った。完全に聞き間違いかと思ってディルクに視線を向けたが、頭を抱えるディルクが目に入り「あ、聞き間違いじゃなかった」と再確認できた。

「どうするかは君に決定権がある。さあ、君はどうしたい?」

 一応逃げ道は作ってくれているらしいが、逃げたところで私に残っているのはイバラの道だけ。同じイバラなら少しでも棘が少ない方がいい。

「分かりました。お受けします」