Bitter Peach

 運命の相手とは、運命的な出会いをする──。

 なんて人は、世の中にきっと一握りしかいない。いまどきSNSを使いこなせば何もかも合う人を見つけられるかもしれないけれど、北原(きたはら)柚月(ゆづき)が彼・保田(やすだ)直幹(なおき)と出会ったのは、大学生になってから始めたアルバイト先の飲食店だった。ごくごくありふれた、よくある話。

「北原さん、接客のアルバイトは初めて?」
「いえ……、高校のときスーパーでレジやってます」
「それなら大丈夫か……」

 直幹は大学三年生で、バイトリーダーをしていた。柚月も客として来ていた頃に彼の姿は見ていて、身長は成人男性の平均くらいはあって高く、丁寧で爽やかな接客が印象的だった。リーダーだと聞いて、納得してしまう。
 尤も、柚月の身長は百五十五cmなので、大抵の男性は大きく見えているのだけれど。

「すぐに覚えるのは無理やろうから、またいつでも聞いて。俺でも良いし、他の子らも、教えてくれるはずやから」
「はい……」
 話を聞きながら、柚月は手元のメモ帳を見ていた。直幹の説明を思い出しながら、説明も上手かったな、と尊敬してしまう。
「ははっ、緊張してるな?」
 彼は笑顔で接してくれるけれど、柚月にはまだそんな余裕はない。
「もう時間かな? あと五分くらいあるか……疲れたやろうし、ゆっくりしとき」
 直幹は笑っていたけれど、近くにいた店長も頷いていたので、本当に残り五分をのんびり過ごさせてもらって良いらしい。通りかかる従業員に挨拶をしながら、店長や直幹と簡単な自己紹介をした。


 それから一ヶ月ほど経った頃の夜。
 アルバイトを終えて柚月が裏口から外に出ると、近くから「にゃー」と猫の鳴き声が聞こえた。小さなダンボール箱の中に、怪我をした茶トラの子猫がいた。

(どうしよう──もう、病院閉まってるし……)

 子猫のことは気になるけれど、柚月はあまり猫は好きではない。家族もそうなので、連れて帰っても嫌がられるかもしれない。
 それでもこのまま柚月が帰ってしまうと、子猫がどうなるかわからない。せめて病院に連れていくか怪我の手当てをしたいけれど、柚月はどうすれば良いのかわからなかった。

「あれ? 北原さん? どうかした?」
 アルバイトを終えて出てきた直幹が、柚月のほうに来た。
「この子、怪我してるんですけど、もう遅いし、うちには連れて帰れなくて……」
「猫か……ほんまやな、怪我してる……待ってて」

 直幹は店の中に戻り、タオルを何枚かとミルクを少し持って出てきた。ミルクを子猫の前に置いた。
「飲めるか?」
「にゃー」
 子猫がミルクを飲むのを最後まで見守ったあと、直幹はタオルで子猫をそっと包んで抱き上げた。
「一旦、うちで預かるわ。明日、病院連れてく」
「良いんですか?」
「うん? あ、俺、猫好きやから……飼ってたこともあるし」
 柚月は、それならよろしくお願いします、と言って、直幹が子猫を自転車の籠に入れるのを見てから帰路に着いた。

 直幹は柚月よりもレベルの高い大学に通っていて、実家からは少し遠いので一人暮らしをしているらしい。アルバイトは単純にコミュニケーション力をつけるために飲食店を選んだようで、そのまま飲食業界に就職するつもりはないと聞いた。ちなみに柚月は心理学を学んでいるけれど、カウンセラーなど臨床方面に進むつもりは今のところない。

 帰宅してしばらくしてから、直幹からLINEが届いていた。子猫の怪我の応急手当はできて、ミルクもたっぷり飲んでくれたらしい。
(良かった……)
 柚月は子供の頃から犬が好きだったので、猫にはほとんど触れたことがない。だから直幹が預かってくれたことには、ものすごく感謝していた。


 アルバイト先の飲み会が開かれて、柚月も参加することにした。居酒屋ではあるけれど、柚月は未成年なのでもちろんソフトドリンクで乾杯する。

「北原さん、仕事慣れた?」
 初めは女性たちと話していたけれど、途中で直幹が席を移動してきた。既にお腹はいっぱいのようで、手に持っているのはビールのグラスだ。
「はい。そういえば、あの猫、どうなりましたか?」
「あ──あのまま、飼うことにした」
「へぇ……。名前つけたんですか?」
「うん。みかん、ってつけた」
「……蜜柑箱に入ってましたっけ?」
「ううん。北原さんが、見つけてたから」

 意味がわからずに柚月が首を傾げると、直幹は照れたように笑った。
「出会ったときに思ったんやけど、北原さんって猫みたいでさ……。あと、名前に〝柚〟って入ってるから、蜜柑にした。あと、茶トラやし」
 直幹が猫好き、という事実を思い出しながら聞いていると、直幹の顔はいつの間にか赤くなっていた。直幹は蜜柑を柚月のように見ていたのだろうか。

「私……猫みたいですか?」
「うん」
 猫は苦手なほうなので、複雑な気持ちがしたけれど。
「だからかな、北原さんのこと好きで……」
「えっ……」

 なんとなく予想はしていたけれど、実際に言われると驚いてしまう。
「付き合ってください」
 真剣に言われて、嫌な気はしなかったし、断る理由もなかった。