朝から降り続く雨は、夕方になっても勢いを弱めることはなかった。
図書館の窓を打つ雨音は、いつもより大きく聞こえる。
「今日はよく降るね」
同僚の言葉に、私は曖昧に笑った。
外を見る。
灰色の空。
道路には水たまりができ、人々は足早に駅へ向かっていた。
私は鞄の中を探る。
財布。
スマートフォン。
文庫本。
……傘がない。
「しまった……」
朝、玄関に置いたまま出てきてしまった。
最近、考え事ばかりしているからだろう。
閉館作業を終えた私は、入口の屋根の下で立ち尽くしていた。
コンビニまで走るべきか。
少し雨が弱まるのを待つべきか。
迷っていると、一台の車がゆっくりと図書館の前に停まった。
見覚えのある白い軽ワゴンだった。
運転席のドアが開く。
傘を差した人がこちらへ駆けてきた。
「雨宮さん!」
聞き慣れた声。
「……桐生さん?」
思わず息をのむ。
悠真さんは少し肩で息をしながら、私の前で立ち止まった。
「よかった。まだ帰ってなかった」
「どうして……?」
「迎えに来ました」
その一言に、頭の中が真っ白になる。
「迎え……?」
「天気予報で大雨だって言ってたでしょう?」
悠真さんは照れくさそうに笑う。
「雨宮さん、前にも傘を忘れてたから。また忘れてる気がして」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
覚えていてくれたんだ。
あの日のことを。
私が傘を忘れたことまで。
「でも、ご迷惑じゃ……」
「迷惑じゃないです」
食い気味に返ってきた。
「むしろ、来なかったら後悔すると思って」
優しい声だった。
飾らない、本音の声。
その響きに、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
◇
二人で一つの傘に入る。
前より少し近い距離。
雨音が静かに二人を包んでいた。
「最近、カフェに来なくなりましたね」
不意に悠真さんが口を開く。
私は俯いた。
「すみません……」
「謝らなくていいんです」
少し間を置いて、彼は続けた。
「でも、心配でした」
その一言が胸に刺さる。
「何か嫌なことを言ったのかな、とか」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「桐生さんは悪くありません」
「じゃあ、どうして?」
答えられない。
好きだから。
その一言が喉まで込み上げるのに、口からは出てこない。
沈黙だけが続いた。
◇
アパートが見えてきた頃、私はようやく小さく口を開いた。
「……聞いたんです」
「え?」
「桐生さんには、忘れられない人がいるって」
足が止まる。
悠真さんは目を丸くした。
「誰から?」
「常連さんが話していて……」
しばらくの沈黙。
やがて悠真さんは、困ったように笑った。
「なるほど」
その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。
「それで避けてたんですね」
私は何も言えず、ただ頷いた。
「誤解です」
「え……?」
「その話、ちゃんと説明したいです」
真っ直ぐな眼差しが私を見つめる。
鼓動が速くなる。
「でも今日は、このまま帰りましょう」
そう言って、悠真さんはまた歩き始めた。
「続きは、明日」
その言葉だけを残して。
◇
部屋へ戻っても、胸の高鳴りは収まらなかった。
誤解。
そう言った。
忘れられない人の話は、私が思っていたものとは違うのだろうか。
期待してはいけない。
そう思うのに、期待してしまう。
明日。
全部話してくれると言った。
その「明日」が、こんなにも待ち遠しいなんて。
窓の外では、雨が少しずつ弱くなっていた。
長く続いたすれ違いも、ようやく終わりを迎えようとしていた。
図書館の窓を打つ雨音は、いつもより大きく聞こえる。
「今日はよく降るね」
同僚の言葉に、私は曖昧に笑った。
外を見る。
灰色の空。
道路には水たまりができ、人々は足早に駅へ向かっていた。
私は鞄の中を探る。
財布。
スマートフォン。
文庫本。
……傘がない。
「しまった……」
朝、玄関に置いたまま出てきてしまった。
最近、考え事ばかりしているからだろう。
閉館作業を終えた私は、入口の屋根の下で立ち尽くしていた。
コンビニまで走るべきか。
少し雨が弱まるのを待つべきか。
迷っていると、一台の車がゆっくりと図書館の前に停まった。
見覚えのある白い軽ワゴンだった。
運転席のドアが開く。
傘を差した人がこちらへ駆けてきた。
「雨宮さん!」
聞き慣れた声。
「……桐生さん?」
思わず息をのむ。
悠真さんは少し肩で息をしながら、私の前で立ち止まった。
「よかった。まだ帰ってなかった」
「どうして……?」
「迎えに来ました」
その一言に、頭の中が真っ白になる。
「迎え……?」
「天気予報で大雨だって言ってたでしょう?」
悠真さんは照れくさそうに笑う。
「雨宮さん、前にも傘を忘れてたから。また忘れてる気がして」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
覚えていてくれたんだ。
あの日のことを。
私が傘を忘れたことまで。
「でも、ご迷惑じゃ……」
「迷惑じゃないです」
食い気味に返ってきた。
「むしろ、来なかったら後悔すると思って」
優しい声だった。
飾らない、本音の声。
その響きに、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
◇
二人で一つの傘に入る。
前より少し近い距離。
雨音が静かに二人を包んでいた。
「最近、カフェに来なくなりましたね」
不意に悠真さんが口を開く。
私は俯いた。
「すみません……」
「謝らなくていいんです」
少し間を置いて、彼は続けた。
「でも、心配でした」
その一言が胸に刺さる。
「何か嫌なことを言ったのかな、とか」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「桐生さんは悪くありません」
「じゃあ、どうして?」
答えられない。
好きだから。
その一言が喉まで込み上げるのに、口からは出てこない。
沈黙だけが続いた。
◇
アパートが見えてきた頃、私はようやく小さく口を開いた。
「……聞いたんです」
「え?」
「桐生さんには、忘れられない人がいるって」
足が止まる。
悠真さんは目を丸くした。
「誰から?」
「常連さんが話していて……」
しばらくの沈黙。
やがて悠真さんは、困ったように笑った。
「なるほど」
その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。
「それで避けてたんですね」
私は何も言えず、ただ頷いた。
「誤解です」
「え……?」
「その話、ちゃんと説明したいです」
真っ直ぐな眼差しが私を見つめる。
鼓動が速くなる。
「でも今日は、このまま帰りましょう」
そう言って、悠真さんはまた歩き始めた。
「続きは、明日」
その言葉だけを残して。
◇
部屋へ戻っても、胸の高鳴りは収まらなかった。
誤解。
そう言った。
忘れられない人の話は、私が思っていたものとは違うのだろうか。
期待してはいけない。
そう思うのに、期待してしまう。
明日。
全部話してくれると言った。
その「明日」が、こんなにも待ち遠しいなんて。
窓の外では、雨が少しずつ弱くなっていた。
長く続いたすれ違いも、ようやく終わりを迎えようとしていた。



