休日の午後。
私は少しだけ緊張しながらカフェ・ルーチェのドアを開けた。
今日は悠真さんの試作ケーキの味見を頼まれている。
たったそれだけのことなのに、朝から落ち着かなかった。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから悠真さんが手を振る。
その笑顔を見ただけで、胸が少し温かくなった。
「お待たせしました」
「全然。ちょうどできたところです」
そう言って運ばれてきたのは、小さなチーズケーキだった。
表面は綺麗な焼き色がついている。
見るからに美味しそうだ。
「どうぞ」
フォークを入れる。
ひと口。
優しい甘さが口いっぱいに広がった。
思わず目を見開く。
「美味しいです」
「本当ですか?」
「本当に」
私は何度も頷いた。
「甘すぎなくて好きです」
その言葉に悠真さんは安心したように息を吐いた。
「よかった」
まるで自分のことのように嬉しくなる。
誰かが頑張って作ったものを褒めるのは好きだった。
でも。
この人が相手だと、いつもより嬉しそうにしてしまう自分がいる。
◇
店が落ち着いた頃。
私はカウンター席で本を読んでいた。
悠真さんは仕込みをしている。
不思議な時間だった。
会話をしているわけではない。
でも居心地がいい。
静かな図書館とは違う。
コーヒーの香りと食器の音が混ざる空間。
嫌いじゃなかった。
「雨宮さん」
「はい?」
「ちょっと相談があるんです」
悠真さんが一冊のノートを持ってきた。
新品の大学ノートだった。
「相談?」
「レシピを書き留めるノートなんですけど」
そう言いながら表紙を開く。
中には綺麗な字でコーヒーやケーキのレシピが書かれていた。
「すごい」
「まだ途中なんですけどね」
悠真さんは少し照れくさそうに笑う。
そして、空いているページを開いた。
「ここ」
「?」
「雨宮さんも何か書きません?」
私はきょとんとした。
「私が?」
「この前の肉じゃが、美味しかったので」
思わず笑ってしまう。
「肉じゃがですか」
「知りたいです」
真面目な顔で言われる。
断れる雰囲気ではない。
私はペンを受け取った。
久しぶりに書くレシピ。
材料。
作り方。
母から教わった通りの手順。
書き終わると、悠真さんは嬉しそうにノートを見た。
「これで作れます」
「そんな大げさな……」
「大事ですよ」
その言葉に、なぜか胸がくすぐったくなった。
◇
それからだった。
ノートは少しずつ増えていった。
私がおすすめの家庭料理を書く。
悠真さんがコーヒーの淹れ方を書く。
私が簡単なお菓子を書く。
悠真さんが新作ケーキのメモを書く。
二人だけのノート。
誰に頼まれたわけでもない。
特別な約束があるわけでもない。
それなのに。
ページが増えるたび、私は嬉しくなった。
◇
帰る前。
ノートを閉じながら悠真さんが言った。
「なんかいいですね」
「何がですか?」
「これ」
表紙を軽く叩く。
「交換日記みたいで」
私は思わずむせそうになった。
交換日記。
その言葉は反則だ。
「そ、そうですか?」
「違います?」
悪気のない笑顔。
困る。
本当に困る。
「……少しだけ」
そう答えるのが精一杯だった。
◇
帰宅後。
私は夕食を作りながら考えていた。
今日のこと。
カフェで過ごした時間。
レシピノート。
交換日記みたいだと言われたこと。
思い出すだけで顔が熱くなる。
こんなのは良くない。
ただの隣人だ。
ただの友人だ。
そう言い聞かせる。
けれど。
キッチンの隅に置いたノートのコピーを見つめながら、私は小さく笑った。
次は何を書こう。
そんなことを考えている。
気づけば、悠真さんとの時間が日常になり始めていた。
そして私はまだ知らない。
好きになるほど怖くなる自分と、もうすぐ向き合うことになることを。
私は少しだけ緊張しながらカフェ・ルーチェのドアを開けた。
今日は悠真さんの試作ケーキの味見を頼まれている。
たったそれだけのことなのに、朝から落ち着かなかった。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから悠真さんが手を振る。
その笑顔を見ただけで、胸が少し温かくなった。
「お待たせしました」
「全然。ちょうどできたところです」
そう言って運ばれてきたのは、小さなチーズケーキだった。
表面は綺麗な焼き色がついている。
見るからに美味しそうだ。
「どうぞ」
フォークを入れる。
ひと口。
優しい甘さが口いっぱいに広がった。
思わず目を見開く。
「美味しいです」
「本当ですか?」
「本当に」
私は何度も頷いた。
「甘すぎなくて好きです」
その言葉に悠真さんは安心したように息を吐いた。
「よかった」
まるで自分のことのように嬉しくなる。
誰かが頑張って作ったものを褒めるのは好きだった。
でも。
この人が相手だと、いつもより嬉しそうにしてしまう自分がいる。
◇
店が落ち着いた頃。
私はカウンター席で本を読んでいた。
悠真さんは仕込みをしている。
不思議な時間だった。
会話をしているわけではない。
でも居心地がいい。
静かな図書館とは違う。
コーヒーの香りと食器の音が混ざる空間。
嫌いじゃなかった。
「雨宮さん」
「はい?」
「ちょっと相談があるんです」
悠真さんが一冊のノートを持ってきた。
新品の大学ノートだった。
「相談?」
「レシピを書き留めるノートなんですけど」
そう言いながら表紙を開く。
中には綺麗な字でコーヒーやケーキのレシピが書かれていた。
「すごい」
「まだ途中なんですけどね」
悠真さんは少し照れくさそうに笑う。
そして、空いているページを開いた。
「ここ」
「?」
「雨宮さんも何か書きません?」
私はきょとんとした。
「私が?」
「この前の肉じゃが、美味しかったので」
思わず笑ってしまう。
「肉じゃがですか」
「知りたいです」
真面目な顔で言われる。
断れる雰囲気ではない。
私はペンを受け取った。
久しぶりに書くレシピ。
材料。
作り方。
母から教わった通りの手順。
書き終わると、悠真さんは嬉しそうにノートを見た。
「これで作れます」
「そんな大げさな……」
「大事ですよ」
その言葉に、なぜか胸がくすぐったくなった。
◇
それからだった。
ノートは少しずつ増えていった。
私がおすすめの家庭料理を書く。
悠真さんがコーヒーの淹れ方を書く。
私が簡単なお菓子を書く。
悠真さんが新作ケーキのメモを書く。
二人だけのノート。
誰に頼まれたわけでもない。
特別な約束があるわけでもない。
それなのに。
ページが増えるたび、私は嬉しくなった。
◇
帰る前。
ノートを閉じながら悠真さんが言った。
「なんかいいですね」
「何がですか?」
「これ」
表紙を軽く叩く。
「交換日記みたいで」
私は思わずむせそうになった。
交換日記。
その言葉は反則だ。
「そ、そうですか?」
「違います?」
悪気のない笑顔。
困る。
本当に困る。
「……少しだけ」
そう答えるのが精一杯だった。
◇
帰宅後。
私は夕食を作りながら考えていた。
今日のこと。
カフェで過ごした時間。
レシピノート。
交換日記みたいだと言われたこと。
思い出すだけで顔が熱くなる。
こんなのは良くない。
ただの隣人だ。
ただの友人だ。
そう言い聞かせる。
けれど。
キッチンの隅に置いたノートのコピーを見つめながら、私は小さく笑った。
次は何を書こう。
そんなことを考えている。
気づけば、悠真さんとの時間が日常になり始めていた。
そして私はまだ知らない。
好きになるほど怖くなる自分と、もうすぐ向き合うことになることを。



