六月に入ってから、空模様は気まぐれだった。
朝は晴れていたのに、帰る頃には曇っている。
そんな日が続いていた。
その日もそうだった。
図書館の閉館作業を終えた私は、職員用の出口を出て足を止めた。
雨だった。
しかも、かなり強い。
屋根を叩く音が絶え間なく響いている。
「うそ……」
思わず呟く。
朝は晴れていたから傘を持ってきていなかった。
スマートフォンで天気予報を確認する。
一時間後も雨。
ため息が漏れた。
駅までは徒歩十分。
走れば帰れない距離ではない。
でも、この雨では確実にびしょ濡れになる。
どうしよう。
そう思いながら空を見上げた時だった。
「雨宮さん?」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこには黒い傘を差した悠真さんが立っていた。
「桐生さん?」
「やっぱり」
彼は少し笑った。
「図書館の前を通ったら見えたので」
「カフェの帰りですか?」
「そうです」
近くで見ると、肩が少し濡れている。
雨の中を歩いてきたのだろう。
「傘、忘れました?」
図星だった。
私は小さく頷く。
「朝は晴れていたので……」
「ですよね」
悠真さんは空を見上げた。
「結構降ってますね」
沈黙が落ちる。
私はますます困った。
すると彼は何でもないことのように言った。
「一緒に帰ります?」
「え?」
「方向同じですし」
心臓が跳ねた。
一緒に帰る。
つまり。
「相合傘……ですか?」
口に出してから後悔した。
なんでわざわざ言ったのだろう。
悠真さんは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「そうなりますね」
恥ずかしい。
今すぐ消えたい。
◇
結局、私は断れなかった。
いや、断りたくなかったのかもしれない。
傘の下に並ぶ。
思っていたより近い。
肩が触れそうな距離。
雨音が周囲の音を消している。
妙に静かだった。
「狭くないですか?」
悠真さんが聞く。
「大丈夫です」
そう答えた瞬間。
傘が少しこちらへ寄せられた。
「雨宮さん、小さいから」
「え?」
「濡れてますよ」
見れば、本当に私の肩だけ少し濡れていた。
気づかなかった。
悠真さんは自分の肩を犠牲にして、傘を私の方へ寄せていたのだ。
「桐生さんの方が濡れます」
「男なんで平気です」
さらりと言う。
そんな言い方、ずるい。
胸の奥がむず痒くなる。
◇
しばらく歩く。
会話は途切れたり続いたりだった。
最近読んだ本の話。
図書館で起きた小さな出来事。
カフェの新メニュー。
どれも特別な話ではない。
それなのに楽しい。
ふと気づく。
私は笑っていた。
自然に。
無理をせずに。
「雨宮さん」
「はい?」
「最近、よく笑うようになりましたね」
思わず足が止まりそうになった。
「え?」
「最初会った時より」
悠真さんは前を向いたまま言う。
「今の方が楽しそうです」
そんなこと。
自分では分からなかった。
でも。
もし本当にそうなら。
それはきっと──。
あなたのせいだ。
言えるはずもなく、私は黙り込む。
雨音だけが続いていた。
◇
アパートが見えてきた。
なんだか少し残念だった。
帰れば、この時間は終わってしまう。
そんなことを思った自分に驚く。
恋愛なんて遠ざけていたはずなのに。
「着きましたね」
悠真さんが言う。
「ありがとうございました」
「いえ」
階段の前で別れる。
その時だった。
「そうだ」
悠真さんが何かを思い出したように言った。
「今度の休み、時間あります?」
心臓が跳ねる。
「ありますけど……」
「新作のケーキを試作するんです」
少し照れたように笑う。
「味見、お願いできますか?」
私は一瞬だけ言葉を失った。
それから小さく頷く。
「喜んで」
その瞬間。
悠真さんは嬉しそうに笑った。
雨の匂い。
濡れたアスファルト。
傘を閉じる音。
その全部が、なぜだか特別に思えた。
部屋へ戻ったあとも、私はしばらく窓の外を眺めていた。
そして気づく。
今日一日で、何度彼のことを考えただろう。
考えないようにしようと思うほど、頭に浮かぶ。
そんな自分に戸惑いながらも、胸の奥は少しだけ温かかった。
次の休みが、待ち遠しい。
そう思ってしまったことだけは、認めるしかなかった。
朝は晴れていたのに、帰る頃には曇っている。
そんな日が続いていた。
その日もそうだった。
図書館の閉館作業を終えた私は、職員用の出口を出て足を止めた。
雨だった。
しかも、かなり強い。
屋根を叩く音が絶え間なく響いている。
「うそ……」
思わず呟く。
朝は晴れていたから傘を持ってきていなかった。
スマートフォンで天気予報を確認する。
一時間後も雨。
ため息が漏れた。
駅までは徒歩十分。
走れば帰れない距離ではない。
でも、この雨では確実にびしょ濡れになる。
どうしよう。
そう思いながら空を見上げた時だった。
「雨宮さん?」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこには黒い傘を差した悠真さんが立っていた。
「桐生さん?」
「やっぱり」
彼は少し笑った。
「図書館の前を通ったら見えたので」
「カフェの帰りですか?」
「そうです」
近くで見ると、肩が少し濡れている。
雨の中を歩いてきたのだろう。
「傘、忘れました?」
図星だった。
私は小さく頷く。
「朝は晴れていたので……」
「ですよね」
悠真さんは空を見上げた。
「結構降ってますね」
沈黙が落ちる。
私はますます困った。
すると彼は何でもないことのように言った。
「一緒に帰ります?」
「え?」
「方向同じですし」
心臓が跳ねた。
一緒に帰る。
つまり。
「相合傘……ですか?」
口に出してから後悔した。
なんでわざわざ言ったのだろう。
悠真さんは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「そうなりますね」
恥ずかしい。
今すぐ消えたい。
◇
結局、私は断れなかった。
いや、断りたくなかったのかもしれない。
傘の下に並ぶ。
思っていたより近い。
肩が触れそうな距離。
雨音が周囲の音を消している。
妙に静かだった。
「狭くないですか?」
悠真さんが聞く。
「大丈夫です」
そう答えた瞬間。
傘が少しこちらへ寄せられた。
「雨宮さん、小さいから」
「え?」
「濡れてますよ」
見れば、本当に私の肩だけ少し濡れていた。
気づかなかった。
悠真さんは自分の肩を犠牲にして、傘を私の方へ寄せていたのだ。
「桐生さんの方が濡れます」
「男なんで平気です」
さらりと言う。
そんな言い方、ずるい。
胸の奥がむず痒くなる。
◇
しばらく歩く。
会話は途切れたり続いたりだった。
最近読んだ本の話。
図書館で起きた小さな出来事。
カフェの新メニュー。
どれも特別な話ではない。
それなのに楽しい。
ふと気づく。
私は笑っていた。
自然に。
無理をせずに。
「雨宮さん」
「はい?」
「最近、よく笑うようになりましたね」
思わず足が止まりそうになった。
「え?」
「最初会った時より」
悠真さんは前を向いたまま言う。
「今の方が楽しそうです」
そんなこと。
自分では分からなかった。
でも。
もし本当にそうなら。
それはきっと──。
あなたのせいだ。
言えるはずもなく、私は黙り込む。
雨音だけが続いていた。
◇
アパートが見えてきた。
なんだか少し残念だった。
帰れば、この時間は終わってしまう。
そんなことを思った自分に驚く。
恋愛なんて遠ざけていたはずなのに。
「着きましたね」
悠真さんが言う。
「ありがとうございました」
「いえ」
階段の前で別れる。
その時だった。
「そうだ」
悠真さんが何かを思い出したように言った。
「今度の休み、時間あります?」
心臓が跳ねる。
「ありますけど……」
「新作のケーキを試作するんです」
少し照れたように笑う。
「味見、お願いできますか?」
私は一瞬だけ言葉を失った。
それから小さく頷く。
「喜んで」
その瞬間。
悠真さんは嬉しそうに笑った。
雨の匂い。
濡れたアスファルト。
傘を閉じる音。
その全部が、なぜだか特別に思えた。
部屋へ戻ったあとも、私はしばらく窓の外を眺めていた。
そして気づく。
今日一日で、何度彼のことを考えただろう。
考えないようにしようと思うほど、頭に浮かぶ。
そんな自分に戸惑いながらも、胸の奥は少しだけ温かかった。
次の休みが、待ち遠しい。
そう思ってしまったことだけは、認めるしかなかった。



