レディ・マーメイド

運転席から降りた亜紋は、バレーパーキングのスタッフに車の鍵を預けて助手席に回る。

樹莉に手を差し伸べると、優しくその手を引いて歩き始めた。

「九條亜紋さま、ようこそお越しくださいました」

ドアマンがうやうやしく頭を下げる。
目礼する亜紋に、樹莉は尋ねた。

「亜紋さんはこのホテルとも関わりが深いのですか?」
「前社長だった金盛とは、ほとんどつき合いはなかった。その代わり新社長となった和田さんとは昔から懇意にしている。40代と若くて、仕事もバリバリこなすスマートな方だ」
「これからお会いする方ですよね? 私、大丈夫でしょうか。なにか失礼なことをしそうで……」

すると亜紋は歩きながら樹莉を見て目を細める。

「なにも問題ない。可愛すぎるのが心配だが」
「……はい?」

今、真顔で妙なことを言われたのは気のせいだろうか。

樹莉は亜紋に寄り添って、エレベーターホールへと向かう。

ゴールデンワールドホテルの内装はメインの黒にゴールドのラインがアクセントになっていて、シックな雰囲気だ。

メインターゲットはビジネスマンで、樹莉の働くパレ・ド・フローラとはガラリと趣が異なる。

フレンチレストランの個室に案内され、樹莉は亜紋と並んで席に着いた。

しばらくするとスタッフの開けた扉から、亜紋に負けず劣らずのスタイルのよい和田が姿を現し、樹莉と亜紋は立ち上がる。

和田はいかにも仕事ができそうな颯爽とした身のこなしで、まずは亜紋に握手を求めた。

「亜紋くん、この度は本当にご迷惑をおかけしました。君の機転のおかげで私は大いに助けられた。これからは必ずこのホテルをよい方向に導いてみせるよ」
「はい。同じ日本のホテル業界として連携を取りつつ、世界に発展させていければと存じます」

大きく頷くと、和田は樹莉とも向き合った。

「初めまして、ゴールデンワールドホテルを経営する代表取締役社長の和田です」
「初めまして。ホテル パレ・ド・フローラのバンケットスタッフ、小早川と申します」
「小早川さんですね。この度は弊社の至らなさであなたに多大なるご迷惑と恐怖を与えてしまいました。心よりお詫び申し上げます」

和田は樹莉に深々と頭を下げる。

「そんな、どうぞお顔を上げてください。私はどこも危害を加えられたりしていませんから」
「それは亜紋くんのおかげだね。更には前社長の金盛の悪事も暴いてくれた。亜紋くん、本当にありがとう」

そして和田は、ようやく二人に着席を促した。

「今夜は精一杯おもてなしをさせていただくよ。アルコールはなにがいいかな?」
「それがあいにく、今夜は車を運転して帰りますので」

ソムリエが差し出したアルコールメニューを見ていた和田は、意外そうに顔を上げた。

「そういえば、黒木さんの姿が見えませんね。今夜は亜紋くんが自ら運転を?」
「はい、そうなのです」
「それでは今夜はここに泊まるといい」
「ありがとうございます。そうさせていただきたいところですが、やり残した急ぎの仕事がありまして」
「そうか、残念だな。では帰りはうちのスタッフに君の車を運転させよう」

亜紋はその申し出には頷き、3人でシャンパンで乾杯した。

「とても美味しいです」

ひと口飲んで、樹莉はそのシャンパンの飲みやすさとまろやかな味わいに感激した。

「それはよかった。さあ、料理もどうぞ」

フレンチのフルコースを味わいながら、樹莉は和田の話に耳を傾ける。

「パレ・ド・フローラは、うちとは違う華やかな雰囲気で、女性にとても人気がありますよね。私も参考にさせてもらおうと、月に一度は足を運んでいます。樹莉さんはどうしてパレ・ド・フローラに勤めようと思ったの?」
「私自身も子どもの頃からあのホテルが大好きで。四季折々の花に触れられるのがとても贅沢な時間でした。毎日通いたいくらいだと思っていたので、だったらここで働こうと」
「なるほど。ゴールデンワールドホテルはお眼鏡にかなわなかったのかな?」

樹莉は少し肩をすくめる。

「申し訳ありません」
「いやいや、意地悪なことを言ってすまなかったね。うちはビジネスマンをメインターゲットにしているけど、やはり女性のお客様にも喜んでいただける工夫をしていかないといけないな。その点、亜紋くんのロイヤルクレストはすばらしい。性別や年代に関係なく人気がある。プライベート感を重視した、唯一無二のホテルだからね。価格もハイクラスだけど、その価値は充分ある」

ありがとうございますと亜紋が頭を下げる。

すると和田は、いいことを思いついたとばかりに、樹莉と亜紋の顔を交互に見た。