レディ・マーメイド

「ちょっと待て、樹莉。どういうことだ?」

息せき切って部屋に入り、一気にまくし立てると、亜紋と黒木は怪訝そうな表情を浮かべる。

「ですから、あのパーティーでベストの左ポケットにこのメモ帳を入れていたんです。そのまま汚れたコースターも同じポケットに入れました。その時、中途半端に開いたメモ帳にコースターを挟んでしまったとしたら……」

亜紋と黒木は、なにかに思い当たったようにハッと息を呑んだ。

「コースターの裏面に暗号を書いていたんじゃない。暗号を書いた透明シールをコースターの裏に貼っておいた」

言い聞かせるようにゆっくり呟く亜紋に、樹莉も頷く。

「ええ。そしてそのシールが思わぬ形で私のメモ帳に貼りつき、私がバックヤードで確認した時にはただの汚れたコースターになっていた。だから私は迷いなく捨てたんだと思います」

シンと沈黙が広がる。

三人ともそれを確信し、そして懸命に気持ちを落ち着かせるかのように。

「樹莉、そのシールを見せてくれ」
「はい」

三人でソファに座り、樹莉はシールが貼られたページを開いて亜紋と黒木にメモ帳を差し出した。

そこに書かれていたのは、ある数式だった。

『274532 − 4097721 = 8814』

黒木は、ん?と首をひねる。

「なんだこれ。めちゃくちゃな数式だな」
「そうなんです」
 
樹莉も散々考えてみたがわからなかった。

数学のあらゆる公式を思い出してみても当てはまらない。

マイナスをプラスにしてみたり、割り算にしても解けなかった。

すると亜紋はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「面白い。解いてやろうじゃないか」

樹莉と黒木が思いつくままにメモ帳に書いている横で、亜紋は腕を組んだままじっと数字を見ていた。

やがて亜紋がポツリと呟く。

「……QWERTY(クワーティー)配列だ」

え?と、樹莉と黒木は顔を上げる。

「なんですか? それ」

樹莉が尋ねると、亜紋はノートパソコンをデスクから持って来てソファに戻る。

そしてくるりと画面の向きを変えて、樹莉達に見せた。

「行と列の2桁で表すキーボード暗号だ。アルファベットの一番上の行を左から読んでみろ」
「QWERTY……?」
「そう。これをQWERTY(クワーティー)配列と呼ぶ。この数字は、それを使った暗号だ」
 
樹莉はゴクリと喉を鳴らして、はやる気持ちを抑えつつ訊く。

「どうやって解くんですか?」
「数式にまどわされず、単なる数字のかたまりだと考えて解く。まずは274532。これは2行目の左から7番目の文字、4行目の左から5番目の文字、それから3行目の左から2番目の文字、という意味だ」

樹莉は黒木と一緒にキーボードを覗き込んだ。

2行目の7番目――『U』
4行目の5番目――『B』
3行目の2番目――『S』

「UBS、ですか? USBじゃなくて?」
「ああ。UBSは海外にあるプライベートバンクだ。恐らく金盛が作ったペーパーカンパニーの裏口座。金盛はここに須藤への報酬を入金しておいた。必要な情報さえ伝えれば、須藤はここから自分で金を動かせる。操作に必要なのは3つ。まずはSWIFT(スウィフト)コードといって国際送金用の銀行識別コードだが、これは誰でも調べられる。あとは口座番号とパスワード。それがこの数字だろう。つまり4097721が口座番号で、8814がパスワード」

ハッとして樹莉は黒木と顔を見合わせる。

亜紋の言葉に疑う余地はなかった。

「亜紋さん、早速ここにアクセスしてみますか?」
「ダメだ。痕跡を残すと俺達が疑われる。このまま警察に話をするぞ」
「はい!」

ようやく光が見えたことに安堵し、樹莉は早速菅井に電話をかける亜紋を頼もしく見つめていた。