しばらくして、紅茶を飲んでくつろいでいたところに亜紋が現れた。
「樹莉、散歩に行くぞ」
ペットに呼びかけるような口調に、樹莉はまたしてもポカンとする。
(え、犬の散歩?)
まじまじと見つめると、亜紋はデフォルトの真顔のままだった。
「どうした、早く行くぞ」
「あ、はい」
とにかく立ち上がってついて行く。
神谷は一緒に来ないらしく「行ってらっしゃいませ、ごゆっくり」と笑顔で見送られた。
亜紋は黙ったまま、大きな歩幅で絨毯の敷きつめられた廊下を歩いて行く。
エレベーターに乗っても無言だ。
樹莉は一歩下がって大人しくしていた。
(それにしても、本当にすてきなホテル。全てがゆったり設計されていて、プライベートな空間が守られている感じ)
エレベーターも恐らくは部屋ごとに専用のものがあるのだろう。
廊下ももしかすると、そうなのかもしれない。
実際、他のゲストに会うこともなかった。
カーブが多く迷路のようだが、チェックインから専任のコンシェルジュがつく為、館内を移動する際は道案内もしてくれる。
(東京の一等地でこんな贅沢なホテル、唯一無二よね。私、一生縁がないはずだったのに)
セレブリティの為のホテル。
そこに今いるのだと思うと、なんだか夢見心地になった。
ポンと軽い音がしてエレベーターの扉が開く。
着いたのは1階ではなく、3階だった。
(ここにガーデンがあるのかな?)
絵画や陶器の飾りが置かれたエレベーターホールを抜け、亜紋のあとに続いて突き当りの角を曲がった時だった。
ふいに明るい陽の光を感じて、樹莉は顔を上げる。
「わあ、きれい……」
いつの間にか大きく開けたテラスに出ていた。
豊かな緑と美しく咲き乱れる花々。
その先にはキラキラと輝く海と青い空が見渡せ、樹莉は思わず感嘆のため息をついた。
立ち止まって、しばしうっとりとその景色に見とれる。
亜紋が振り向き、そんな樹莉を見て表情を和らげた気がした。
「奥まで行こう」
「はい」
返事をして歩き出そうとすると、亜紋が手を差し伸べる。
「足元気をつけて。見えてないだろう?」
「え、わっ!」
一歩踏み出したところは石畳の階段で、樹莉は危うく踏み外すところだった。
亜紋が手を取って支えてくれ、そのままゆっくりと階段を下りる。
そう言えばヒールの高いシューズにドレス姿だったと、樹莉は自分の装いを思い出した。
スカートをつまんで足元を確かめながら階段を下まで下りると、亜紋はそのまま樹莉の手を引いて奥へと進む。
「なんてきれいなの。色んな品種の紫陽花があるんですね」
「ああ、そうらしいな」
どこか他人事のような亜紋に、樹莉は立ち止まって紫陽花に顔を寄せた。
「亜紋さん、これ、とても珍しい品種ですよ。グラデーションが美しい『万華鏡』に、お星さまみたいな『墨田の花火』、華やかなピンクの『ダンスパーティー』に手毬みたいな『ピンクアナベル』。うちのホテルはお花がテーマですけど、ここまでの品揃えではないです。さすがですね」
本当にきれい、と見とれていると、亜紋も隣に並んで花に目をやる。
「そうなのか。珍しい品種を揃えているのは知っていたが、今まで大して気にも留めていなかった」
「こんなに美しいのに?」
「確かに。どうして気づかなかったんだろう。もう何年も初夏に咲いていたのに、知らずに過ごしていた」
「なんてもったいない」
そう言うと、亜紋は目を細めて紫陽花を見つめる。
「そうだな。美しいものはすぐ近くにあるのに、気づかないなんて愚かなことだ。これからはその美しさに気づける心の豊かさを忘れないでいたい」
いつになく真剣な眼差しの亜紋に、なぜだか樹莉は目をそらせなかった。
「樹莉、散歩に行くぞ」
ペットに呼びかけるような口調に、樹莉はまたしてもポカンとする。
(え、犬の散歩?)
まじまじと見つめると、亜紋はデフォルトの真顔のままだった。
「どうした、早く行くぞ」
「あ、はい」
とにかく立ち上がってついて行く。
神谷は一緒に来ないらしく「行ってらっしゃいませ、ごゆっくり」と笑顔で見送られた。
亜紋は黙ったまま、大きな歩幅で絨毯の敷きつめられた廊下を歩いて行く。
エレベーターに乗っても無言だ。
樹莉は一歩下がって大人しくしていた。
(それにしても、本当にすてきなホテル。全てがゆったり設計されていて、プライベートな空間が守られている感じ)
エレベーターも恐らくは部屋ごとに専用のものがあるのだろう。
廊下ももしかすると、そうなのかもしれない。
実際、他のゲストに会うこともなかった。
カーブが多く迷路のようだが、チェックインから専任のコンシェルジュがつく為、館内を移動する際は道案内もしてくれる。
(東京の一等地でこんな贅沢なホテル、唯一無二よね。私、一生縁がないはずだったのに)
セレブリティの為のホテル。
そこに今いるのだと思うと、なんだか夢見心地になった。
ポンと軽い音がしてエレベーターの扉が開く。
着いたのは1階ではなく、3階だった。
(ここにガーデンがあるのかな?)
絵画や陶器の飾りが置かれたエレベーターホールを抜け、亜紋のあとに続いて突き当りの角を曲がった時だった。
ふいに明るい陽の光を感じて、樹莉は顔を上げる。
「わあ、きれい……」
いつの間にか大きく開けたテラスに出ていた。
豊かな緑と美しく咲き乱れる花々。
その先にはキラキラと輝く海と青い空が見渡せ、樹莉は思わず感嘆のため息をついた。
立ち止まって、しばしうっとりとその景色に見とれる。
亜紋が振り向き、そんな樹莉を見て表情を和らげた気がした。
「奥まで行こう」
「はい」
返事をして歩き出そうとすると、亜紋が手を差し伸べる。
「足元気をつけて。見えてないだろう?」
「え、わっ!」
一歩踏み出したところは石畳の階段で、樹莉は危うく踏み外すところだった。
亜紋が手を取って支えてくれ、そのままゆっくりと階段を下りる。
そう言えばヒールの高いシューズにドレス姿だったと、樹莉は自分の装いを思い出した。
スカートをつまんで足元を確かめながら階段を下まで下りると、亜紋はそのまま樹莉の手を引いて奥へと進む。
「なんてきれいなの。色んな品種の紫陽花があるんですね」
「ああ、そうらしいな」
どこか他人事のような亜紋に、樹莉は立ち止まって紫陽花に顔を寄せた。
「亜紋さん、これ、とても珍しい品種ですよ。グラデーションが美しい『万華鏡』に、お星さまみたいな『墨田の花火』、華やかなピンクの『ダンスパーティー』に手毬みたいな『ピンクアナベル』。うちのホテルはお花がテーマですけど、ここまでの品揃えではないです。さすがですね」
本当にきれい、と見とれていると、亜紋も隣に並んで花に目をやる。
「そうなのか。珍しい品種を揃えているのは知っていたが、今まで大して気にも留めていなかった」
「こんなに美しいのに?」
「確かに。どうして気づかなかったんだろう。もう何年も初夏に咲いていたのに、知らずに過ごしていた」
「なんてもったいない」
そう言うと、亜紋は目を細めて紫陽花を見つめる。
「そうだな。美しいものはすぐ近くにあるのに、気づかないなんて愚かなことだ。これからはその美しさに気づける心の豊かさを忘れないでいたい」
いつになく真剣な眼差しの亜紋に、なぜだか樹莉は目をそらせなかった。



