レディ・マーメイド

……4年後の夏。

「パーパ、みてみて!」

休日の午後に、もうすぐ3歳になる娘の杏樹(あんじゅ)が、自慢げに亜紋のもとに駆け寄って来た。

「おっ、杏樹。可愛い水着だな」
「うん! ママがきせてくれたの」

ミントグリーンのスカートをひらひらさせながら、杏樹は両手を広げてくるりと回る。

「アリエルのいろ! いいでしょー?」

小首を傾げる仕草は、なんとも愛らしい。
透き通るようなきれいな声は樹莉譲りだった。

「杏樹はリトル・マーメイドが大好きだもんね」

樹莉が笑いながら近づき、杏樹に浮き輪をかぶせた。

「ママ、これいらないよ」
「でも溺れたらどうするの?」

亜紋は思わず吹き出して笑う。

「樹莉、子ども用のビニールプールだぞ?」
「でもたとえ数cmでも溺れたりするんですよ」
「目を離さなければ大丈夫だ。樹莉じゃないんだから、そう簡単には溺れない」

ムーッとふくれっ面になる樹莉の頭にポンと手を置いてから、亜紋は立ち上がる。

「よーし、杏樹。お水入れるぞ」
「やったー!」

庭に出しておいた大きなプールに、亜紋はホースのノズルをミストにして虹を作りながら水を溜める。

「わー、にじだ! にじのあめ!」

杏樹は降り注ぐ水にはしゃいだ声を上げた。

樹莉がテラスのテーブルにアイスティーを入れたグラスを置き、水を張って戻って来た亜紋と一緒に杏樹を見守る。

「パパー、ママー、みててね」

杏樹は足をバタバタして水しぶきを上げ、「およいでるでしょう?」と訊いてくる。

「ああ、ちゃんと泳いでるな。立派なリトル・マーメイドだ」
「ほんとう? やったー!」

嬉しそうに全身でバシャバシャと水をかき分ける杏樹に、亜紋はポツリと呟く。

「……樹莉より上手いな」
「ちょっと、亜紋さん! 聞こえてますけど?」
「ははは! まあ、樹莉は泳げるけど溺れるんだよな。ジャグジーでも」
「もう、それ何年言い続けるんですか?」

亜紋は笑って樹莉の肩を抱く。

「いつまでも。樹莉は可愛い人魚姫なんだから」
「リトル・マーメイドは杏樹でしょ?」
「そう。樹莉は俺のレディ・マーメイド。優しくて聡明で、ずっと俺だけを愛してくれるたった一人の女」

ふくれっ面の樹莉の頬が赤く染まる。

「照れちゃって、かーわいい。やっぱりまだまだリトル・マーメイドかもな」

そう言って亜紋はチュッと樹莉の頬にキスをした。

「亜紋さん!」

ますます顔を真っ赤にする樹莉を、亜紋はグッと抱き寄せて耳元でささやく。

「樹莉、いつまでも俺の可愛い人魚姫でいて」

目を潤ませて見上げてくる樹莉に胸を切なくさせながら、亜紋は樹莉の唇に甘いキスをする。

明るい陽射しの中、杏樹の楽しそうな笑い声に包まれて、この先もずっと続く幸せを噛みしめながら……

(完)