放課後の帰り道。
いつものように、公園の横を通り過ぎようとしていた。
春の夕方は中途半端にあたたかくて、少し眠くなる。
イヤホンを片方だけつけたまま歩いていたとき、水の流れる音が聞こえた。
しゃあ、という静かな音。
なんとなく視線を向ける。
花壇の前に、誰かがしゃがみ込んでいた。
制服の袖を少しまくって、ジョウロを傾けている。
「……水瀬?」
思わず足が止まる。
学校で見るより、ずっと静かに見える。
いや、多分。
もともとこういう空気のやつなんだろう。
小さく何か呟きながら、花に水をやっている姿が妙に自然だった。
誰かに見せるためじゃなく、本当に“ただやってる”感じ。
「……ほんと、お人好し」
無意識に呟いた瞬間。
足元の枝を踏んだ。
がさっ。
思ったより大きな音がして、顔をしかめる。
水瀬がびくっと肩を揺らして振り返った。
「...っ!どうしたの?大丈夫?」
……完全に驚かせた。
「わ、悪い」
少し気まずくなりながら、木の陰から姿を出した。
「驚かせるつもりじゃなかった」
「……柏木くん?」
明らかに驚いた顔。
まあ、そりゃそうか。
「通りかかっただけ」
そう言いながら、花壇へ視線を向ける。
「……通りかかったら、水瀬が水やりしてたから」
水瀬が、少しだけ目を丸くする。
「え」
「誰かに頼まれたわけでもないんだろ?」
「……まあ、うん」
「やっぱり」
思わず少し笑ってしまう。
本当にそういうやつなんだな、と思った。
学校では、鈴野の隣にいる印象の方が強い。
でも今は、全然違って見える。
「柏木くんは……帰り?」
「ん」
短く返事をする。
会話が続いてることに、自分でも少し驚いた。
「……毎日やってんの?」
「毎日じゃないけど、たまに」
「へえ」
風が吹いて、花壇のチューリップが揺れる。
沈黙。
でも、不思議と気まずくはなかった。
「水瀬ってさ」
名前を呼ぶと、彼女が少しだけこっちを見る。
「なんか、そういうの似合うな」
「……そういうの?」
「花に水やるの」
言ったあと、自分でも何言ってんだと思った。
なのに水瀬は、小さく笑った。
「なにそれ」
「いや、なんとなく」
その笑い方を見た瞬間、ふと思い出す。
「……ていうか」
花壇を見下ろす。
「これ、去年もやってた?」
「え?」
「なんか見たことある気がする」
水瀬が少しだけ考え込む。
「……覚えてるの?」
「たまたま見ただけ」
本当は、それだけじゃない。
でも別に、今言うことでもないと思った。
「柏木くんこそ、よくこの公園通るの?」
「まあまあ」
「じゃあ、去年も会ってたかもね」
その言葉に、一瞬だけ黙る。
会ってた。
多分、水瀬は覚えてないけど。
「……会ってたっていうか...」
「え?」
「ここで」
水瀬が少し困ったみたいに笑う。
「……ごめん、私ほんとに覚えてないかも」
「だろうな」
思わず小さく笑う。
覚えてなくても仕方ない。
あれは、多分。
水瀬にとって特別なことじゃなかったから。
「……まあ、別にいいよ」
空を見れば、もう夕方だった。
「じゃ、俺もう行くわ」
「……うん」
数歩進んでから、ふと振り返る。
花壇の前で立っている水瀬が、夕陽の中でやけに静かに見えた。
「またな」
少しだけ間を空ける。
「鈴野によろしく」
軽く手を上げて、そのまま公園を後にした。
帰り道。
イヤホンから流れている音楽は、もうほとんど耳に入ってこなかった。

