終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない

暫くして、ふと、少し呆れた声音で、王子が問いかける。

「お前さ、ほんと俺の顔が好きだよな」 
「え?うん。顔は好き。いつも言ってるでしょ、王子は鑑賞用だからね」
「ふーん、まぁいいけどな」

聞いておきながら、その反応の薄さはなによ。
ただ、口調とは裏腹に、熱く這うような視線が唇に注がれている。

何となく気まずくて、また一口カクテルを運んだ。  
 
「……志穂、いま飲んだな」
「え?……」

王子は、ニヤリと企んだ笑みを浮かべた。
思わず、背筋がぞくりと走る。

「メッセ、読んだよな?」

確かに。
昨日の夜、届いたメッセージには――
『頼みたい事あるから、ビーナスベルト集合。拒否権無し』
と、あった。

「奢った酒飲んだろ、拒否権ねぇから」 
「ちょっと!色々ずるいじゃないっ……」

タダより怖いものは無いとはこのことだ。
あたしは、あらゆる頼みごとやらの内容を、想定できる範囲で巡らす。

「志穂」 
「……な……なに?」

こんなに長く見つめられたことがないから、ぴくんと跳ねる鼓動。
彼の双眸に、狼狽してるあたしが映っているのがわかる。
それくらいの距離。

「今日から俺の"婚約者"な」

聞き慣れなくて、一瞬、頭が真っ白になる。

「は?……え……?こんやくしゃ?」

飲みすぎていないのに、呂律も思考も働かない。
でも王子は、驚くほど真面目にあたしを見ている。
 
「クソ親父に、今日中に連れてこいって言われてる」 
「志穂なら面倒がねぇし。俺の顔しか興味ないだろ?」
「ちょっと……待って……意味わかんない……」
「だから、断るなよ」
 
そう言ったくせに、彼の声は少しだけ安堵したように聞こえた。  
手にしていたブルームーンが、強引に彼に奪われ飲み干される。  
視界がぐらりと揺れて、気づけば彼に引き寄せられていた。
鼻をくすぐるジンの鋭い香りと、初めて触れる王子の熱い体温。
  
「俺、お前が思ってるほど、都合のいい男じゃねえよ」
  
耳元で囁かれた声は、軽薄さが消え、重く低く、熱を持っていた。
 
今まで無害な鑑賞用だと思っていた綺麗な造形美が、猛烈な雄の気配を纏って迫ってくる。
  
「……っ、ちょっ、王子……」 
「王子はもうナシ」
「それどういう意味っ――」 
 
言葉を遮るかのように、肩に回された手がぎゅっと力がこもる。
遠くで、終電を告げるアナウンスが微かに聞こえた気がした。
けれど、彼はあたしを離さない。

「残念、終電、行ったな」 
 
その一言のあと、くすっと彼は楽しそうに笑った。

「ここで終わると思ってんの?」
「あたしまだ……やるって言ってないっ」 
「お前、『推しは甘い夢を見せてくれる』っていつも言ってたよな」
  
王子の瞳が、思いもよらない距離であたしを射抜く。
そこにあるのは、推しが見せる嘘の色じゃない。
熱と甘い色味を帯びた、真っ直ぐな――剥き出しの独占欲。
 
「今日からってことで、よろしく――"婚約者どの"」
「……ちょっと、まってっ」  
「鑑賞用で済むわけねぇから……行くぞ」
 
その瞬間、“王子”は、完全に王子じゃなくなった。
腕を掴まれ、そのまま店を出る。   
  
嘘と真実が混ざり合うビーナスベルトで囁かれた響きは、もう”鑑賞用”ではいられなかった。
空に浮かぶ嘘の色した三日月が、ゆっくりと夜の深淵へ沈んでいく。


夢に逃げたかったあたしを、彼はその熱い腕で、容赦なく”現実”へと連れ戻す甘い罠。 
  
――今夜、気付いてほしくなかったあたしの恋が、終電を追い越して走り出した。