終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない


――――カラン、カラン。

聞き慣れたドアベルの音に混じる靴音。
スーツ姿の男性は、迷いなく、そして無遠慮に隣に座った。

「マスター、いつもの」 
「呼び出しといて遅刻とは、良い度胸ね。終電に間に合わないかと思ったわ」 
「とか言いつつ、先に飲んでるだろうが」
 
そう言ってネクタイを緩める。
たったそれだけなのに、彼の容姿は、ため息が出るほど整っている。

「そんなに見るなら、今回から見物料取るぞ」 
「はぁ……本当に黙ってたらアイドルなのにね、王子は」
「でも、眼福だわ」
 
あたしが"王子"と呼ぶこの男――。
藤垣綾人(ふじがきあやと)は、悔しいほどに、顔の好みがドンピシャで。
それもそのはず。
彼は、あたしが推しているアイドルによく似ているのだ。

「そういや、先週解散したな。志穂(しほ)の推し」
「………………言わないでよ」
 
三ヶ月前。 
残業と終電続きに失恋までして、それに追い討ちをかけた、推しのアイドルグループの解散発表。
私の世界が死んだと言っても、過言ではない。
光を喪い、身も心もボロボロだった。  
  
癒されたくて街を彷徨っていた時に、偶然見つけたBAR【ビーナスベルト】。
美味なカクテルに加え、王子ともここで知り合った。

「あ、"失恋"もだったな」
「傷口を抉るなっ」
「原因は『しっかりし過ぎて可愛げがない』だっけ。見る目がねぇよな」
「……で、もって『完璧すぎて結婚しても疲れるかも』よ……」  

推しに言われたみたいでショックで、そっぽを向いた。

(分かってる……素の自分を見せれなくて、クールぶってた) 
  
「もう恋なんてしないっ、仕事に生きてやるっ……おかわりっ!」 
 
なにが面白いのか、王子はくつくつと笑う。 
マスターが静かに、でも微笑みながら、カクテルを差し出す。
 
王子は、透き通った辛口の”ウォッカギブソン”。 
あたしは、夜空を溶かしたような深い青の”ブルームーン”。

磨き上げられたカウンターに、ふたつのグラスが鮮やかな影を落とす。

​「奢ってやるから機嫌直せよ、ほら」 
 
​カクテルを持って、ニヤリと笑う。

(その顔……本当にずるい) 

「うるさいっ…………でも、ありがと」 

不覚にも王子にときめいてしまった――
それがいちばん厄介だ。 
 
隠すようにブルームーンを口に含む。
すみれ色をした、甘く、でも少し苦いこのお酒。
カクテル言葉は『叶わぬ恋』
鑑賞用の王子を見つめながら飲むには、ぴったりだ。 

なんだかんだで、あたしたちの会話が弾んでいく。
 
こういう関係が、一番落ち着く。
恋人にならなければ、失うこともないから。
だって、期待して本当の自分をさらけ出して――傷つきたくない。
 
(こんな臆病なあたしを、王子には知られたくない……)