この縁談、謹んでお断りいたします〜身代わりお見合いのはずが、冷徹御曹司の運命の花嫁になりました

 「ああ。ああいう顔は、あまり人前では見せない」

 そう答える声には、どこか安堵が滲んでいた。

 「ありがとう」
 「え?」
 「母のああいう一面を引き出したのは、帆奈美だ」

 視線は前を向いたまま。それでも、その言葉の重みはしっかりと伝わってくる。

 「私はただ、好きなことを話しただけで」
 「それができる人間が、意外と少ないんだ」
 「……そうかな」

 小さく首を傾げながらも、喜びが溢れてくる。
 特別なことをしたつもりはない。それでも、自分の〝好き〟が誰かの心をほどいたのだと思うと、くすぐったくて少しだけ誇らしい気持ちになる。
 やがて車は見慣れた道へと入っていく。宏臣のマンションへ向かっているのだと気づいた。
 宏臣が、ふと口を開く。

 「今夜は帰らなくてもいいだろう?」
 「……えっ」

 心臓がどくんと跳ねる。そんな予定は考えていなかった。
 宏臣の横顔に笑みが浮かぶ。

 「今日はいい日だったから、もう少し余韻に浸っていたい。帆奈美も同じだよな?」

 視線が一瞬だけ絡む。
 一瞬言葉に詰まったけれど、答えは決まっていた。

 「はい」

 微笑みながら頷くと、宏臣が目を細める。
 車はそのまま、彼のマンションの地下駐車場へ滑り込んだ。
 隣にいる彼の存在が、なによりもたしかなものとして感じられる。今日という一日のすべてを噛みしめるように、帆奈美はそっと目を閉じた。

 こんなふうにひとつずつ克服して、少しずつふたりの時間が積み重なっていく。そんな幸せに浸りながら、助手席のドアを開けた彼の手に自分の手を重ねた。