屋上での騒動から数日。
葵さんは学校に来づらくなったのか、あるいはプライドが許さなかったのか、すぐに別の学校へと転校していった。
今度の噂は「陽菜が元カノを完全に返り討ちにした」という、ちょっと誇張された格好良いものになって校内に広まり、もう私たちを邪魔する人は誰もいなくなった。
そして、季節はあっという間に流れていく。
肌を刺すような夏の暑さは引き、街路樹の葉が赤や黄色に染まる秋を経て、凍えるような白い息が舞う冬がやってきた。
高校生活の終わり、つまり「卒業」の足音が、すぐそこまで近づいていた。
「さっむ……。ねぇ湊、マフラー貸して」
「はぁ? お前が忘れたんだろ。ほら、これ巻けよ」
いつもの朝。いつもの駅前。
だけど、私たちの首元には、お揃いのチェック柄のマフラーが巻かれている。
私が寒そうに身を縮めると、湊は呆れ顔をしながらも、自分のマフラーの片側を解いて、私の首に優しく巻きつけてくれた。
一本のマフラーで繋がった、不格好な二人の距離。
歩くたびに、お互いの肩が嫌でもぶつかり合う。
「……なんかさ、こうやって学校行くのも、あと数回なんだよね」
私の言葉に、並んで歩く湊の足が、ほんの少しだけ遅くなった。
私たちは二人とも、地元の大学へと進学が決まっている。
だから、これからもずっと一緒にいられる。
会おうと思えば、いつでも隣の家から出てくれば会える。
だけど、この見慣れた制服を着て、朝の駅前で待ち合わせをして、同じ校門をくぐる「当たり前の日常」は、もうすぐ終わってしまうのだ。
「……寂しい?」
覗き込むように聞くと、湊はマフラーに顔を半分埋めたまま、ぶっきらぼうに呟いた。
「寂しいに決まってんだろ。俺、お前と制服デートするの、結構気に入ってたんだわ」
「何それ、可愛いこと言うじゃん」
「うるせぇ。からかうな」
湊は顔を真っ赤にしながら、私の手をブレザーのポケットの中に引き入れた。
ポケットの中で、二人の手がギュッと重なる。
かじかんだ指先が、湊の体温でじわじわと温められていく。
校門が見えてきた頃、前方から聞き馴染んだ、だけど少し大人っぽくなった声が響いた。
「おはよー! 二人とも、朝からイチャイチャしすぎ。見てるこっちが寒くなるんだけど!」
振り返ると、そこにはお気に入りのリップを塗って、綺麗に髪を巻いた美羽が立っていた。
美羽は春から、東京の専門学校へ進学することが決まっている。
ここを出て、遠い街で行くのだ。
「美羽、おはよ! 別にイチャイチャしてないよ、湊が無理やり引っ張るから」
「おい陽菜、嘘つくな。お前がマフラーよこせって言ったんだろ」
「あはは! 本当、相変わらずだね、あんたたち」
美羽は無邪気に笑った。
あの頃の、私を傷つけようとしていた美羽じゃない。
自分の恋にケジメをつけ、私の親友になってくれた、本当の美羽の笑顔。
「ねぇ、陽菜ちゃん。放課後、ちょっと付き合ってよ。東京に持っていく服、一緒に選んでほしいな」
「うん、もちろん! 喜んで!」
「あ、湊くんは留守番ね。女同士の買い物に男は邪魔だから」
「……へいへい、分かってますよ」
湊がわざとらしくため息をつく。
そんなくだらないやり取りが、愛おしくて、涙が出そうになる。
小学生の頃。
隣に湊がいることを、朝になれば会えることを、放課後になれば一緒に帰ることを、当たり前だと思っていた。
美羽が現れて、失う恐怖を知って、初めて自分の恋心に気づいた。
葵が現れて、湊の「特別」が自分だけなのだと確信できた。
もし、あの始まりの日の私に会えるなら、教えてあげたい。
これから先、少しずつ何かが変わっていくけれど。
傷ついて、泣いて、たくさん遠回りをするけれど。
その先には、あの頃よりも何百倍も幸せな、大好きな人の隣が待っているよ、と。
「ほら、陽菜。予鈴鳴るぞ、急ぐぞ」
「あ、待ってよ湊! 引っ張ると危ないってば!」
ポケットの中で繋がった手を離さないまま、私たちは白いため息を弾ませて、いつもの校舎へと駆け出した。
私たちの高校生活最後の冬が、愛おしい思い出とともに、ゆっくりと更けていく。
葵さんは学校に来づらくなったのか、あるいはプライドが許さなかったのか、すぐに別の学校へと転校していった。
今度の噂は「陽菜が元カノを完全に返り討ちにした」という、ちょっと誇張された格好良いものになって校内に広まり、もう私たちを邪魔する人は誰もいなくなった。
そして、季節はあっという間に流れていく。
肌を刺すような夏の暑さは引き、街路樹の葉が赤や黄色に染まる秋を経て、凍えるような白い息が舞う冬がやってきた。
高校生活の終わり、つまり「卒業」の足音が、すぐそこまで近づいていた。
「さっむ……。ねぇ湊、マフラー貸して」
「はぁ? お前が忘れたんだろ。ほら、これ巻けよ」
いつもの朝。いつもの駅前。
だけど、私たちの首元には、お揃いのチェック柄のマフラーが巻かれている。
私が寒そうに身を縮めると、湊は呆れ顔をしながらも、自分のマフラーの片側を解いて、私の首に優しく巻きつけてくれた。
一本のマフラーで繋がった、不格好な二人の距離。
歩くたびに、お互いの肩が嫌でもぶつかり合う。
「……なんかさ、こうやって学校行くのも、あと数回なんだよね」
私の言葉に、並んで歩く湊の足が、ほんの少しだけ遅くなった。
私たちは二人とも、地元の大学へと進学が決まっている。
だから、これからもずっと一緒にいられる。
会おうと思えば、いつでも隣の家から出てくれば会える。
だけど、この見慣れた制服を着て、朝の駅前で待ち合わせをして、同じ校門をくぐる「当たり前の日常」は、もうすぐ終わってしまうのだ。
「……寂しい?」
覗き込むように聞くと、湊はマフラーに顔を半分埋めたまま、ぶっきらぼうに呟いた。
「寂しいに決まってんだろ。俺、お前と制服デートするの、結構気に入ってたんだわ」
「何それ、可愛いこと言うじゃん」
「うるせぇ。からかうな」
湊は顔を真っ赤にしながら、私の手をブレザーのポケットの中に引き入れた。
ポケットの中で、二人の手がギュッと重なる。
かじかんだ指先が、湊の体温でじわじわと温められていく。
校門が見えてきた頃、前方から聞き馴染んだ、だけど少し大人っぽくなった声が響いた。
「おはよー! 二人とも、朝からイチャイチャしすぎ。見てるこっちが寒くなるんだけど!」
振り返ると、そこにはお気に入りのリップを塗って、綺麗に髪を巻いた美羽が立っていた。
美羽は春から、東京の専門学校へ進学することが決まっている。
ここを出て、遠い街で行くのだ。
「美羽、おはよ! 別にイチャイチャしてないよ、湊が無理やり引っ張るから」
「おい陽菜、嘘つくな。お前がマフラーよこせって言ったんだろ」
「あはは! 本当、相変わらずだね、あんたたち」
美羽は無邪気に笑った。
あの頃の、私を傷つけようとしていた美羽じゃない。
自分の恋にケジメをつけ、私の親友になってくれた、本当の美羽の笑顔。
「ねぇ、陽菜ちゃん。放課後、ちょっと付き合ってよ。東京に持っていく服、一緒に選んでほしいな」
「うん、もちろん! 喜んで!」
「あ、湊くんは留守番ね。女同士の買い物に男は邪魔だから」
「……へいへい、分かってますよ」
湊がわざとらしくため息をつく。
そんなくだらないやり取りが、愛おしくて、涙が出そうになる。
小学生の頃。
隣に湊がいることを、朝になれば会えることを、放課後になれば一緒に帰ることを、当たり前だと思っていた。
美羽が現れて、失う恐怖を知って、初めて自分の恋心に気づいた。
葵が現れて、湊の「特別」が自分だけなのだと確信できた。
もし、あの始まりの日の私に会えるなら、教えてあげたい。
これから先、少しずつ何かが変わっていくけれど。
傷ついて、泣いて、たくさん遠回りをするけれど。
その先には、あの頃よりも何百倍も幸せな、大好きな人の隣が待っているよ、と。
「ほら、陽菜。予鈴鳴るぞ、急ぐぞ」
「あ、待ってよ湊! 引っ張ると危ないってば!」
ポケットの中で繋がった手を離さないまま、私たちは白いため息を弾ませて、いつもの校舎へと駆け出した。
私たちの高校生活最後の冬が、愛おしい思い出とともに、ゆっくりと更けていく。



