幼馴染に彼女ができたとき、私は貴方が好きだと気づいた。

美羽が教室を出て行ってから、私はしばらくその場から動けずにいた。
夕陽がすっかり傾いて、教室の半分以上が影に沈んでいく。
寂しさがないと言えば嘘になるけれど、胸の奥は驚くほど軽かった。
「……遅い」
静まり返った空間に、低くて少し不機嫌そうな声が響いた。
振り返ると、教室の後ろのドアに湊が立っていた。
腕を組んで、眉間にシワを寄せながら、それでも心配でたまらないという目を私に向けている。
「湊……。ずっとそこで待ってたの?」
「おう。何かあったら殴り込みにいくつもりだったわ。……で、どうだったんだよ」
湊が歩み寄ってきて、私の顔を覗き込む。
泣いた跡がないか確かめるようなその視線が、なんだかくすぐったい。
「うん。ちゃんと話せたよ。美羽、もう諦めるって。私の負けだって言ってた」
「……そうか」
湊はふっと息を吐き、肩の力を抜いた。
その表情を見て、私は美羽が言っていた言葉を思い出す。
『湊くんの目は、私の後ろにいる陽菜ちゃんしか追ってなかった』
今までずっと「ただの幼馴染」だと思っていた。
けれど、湊は私が気づかないずっと前から、私だけを特別に想ってくれていたんだ。
「なぁ、陽菜」
「ん?」
「お前、本当に大丈夫か? 無理して笑ってねぇ?」
距離が近い。
付き合う前、この距離に息が詰まりそうになっていた私に、湊が「理想のカップルになれるように頑張ってきた」と言ってくれたっけ。
「無理なんてしてないよ。むしろ……すっごくスッキリしてる」
私は一歩踏み込んで、自分から湊のブレザーの袖をキュッと掴んだ。
「ねぇ、湊。今日、一緒に帰ろ?」
「……当たり前だろ。そのために待ってたんだから」
湊は少し照れくさそうに顔を背けると、私の手をそっと握りしめた。
包み込まれるような大きな手のひら。
夏祭りのあの夜に握られた時とは違う、優しくて、温かくて、穏やかな熱。
私たちは並んで教室を出て、夕暮れの廊下を歩き出す。
学校を出て、いつもの駅前までの道を歩いていると、すれ違う他校の生徒や、買い物帰りの主婦の人たちの視線が、なんとなく私たちの「繋いだ手」に向いているような気がした。
今まで何度も歩いた道。
何百回と繰り返してきた下校。
それなのに、手を繋いでいるだけで、見慣れた景色がまるで初めて見る街のように新鮮に映る。
「……なんかさ」
湊がぽつりと言った。
「こうやって歩いてると、変な感じだな」
「変な感じって何よ。嫌なの?」
「違うわ、バカ。嫌なわけねぇだろ。……ただ、ずっとこうなりたかったからさ。夢みてぇだなと思って」
ぶっきらぼうだけど、真っ直ぐな言葉。
心臓がトクンと跳ねる。
「夢じゃないよ。ほら、手、冷たくないでしょ?」
私は繋いだ手を少し強く握り返した。
「おう。あったかいわ」
湊は嬉しそうに目を細めて、私の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
途中で、あの付き合う前に美羽の誕生日プレゼントを選びに寄った、ショッピングモールの前を通り過ぎた。
あの時は、胸の奥が引きちぎれそうなくらい苦しかったのに、今はその場所を見上げながら「今度は二人だけの買い物で来ようね」なんて、自然と思える自分がいる。

駅前の集合場所。
あの日、湊が美羽を連れてきて「彼女できた」と言った、すべての始まりの場所が見えてきた。
「そういえばさ、陽菜」
「何?」
「美羽のことは片付いたけど……俺たち、まだちゃんとしてねぇよな」
「ちゃんとしてないって?」
足を止めると、湊も私の方を振り返った。
駅前の街灯がぽつぽつと灯り始め、湊の顔を淡く照らす。
「ほら、夏祭りのとき、お前『別れよう』って言っただろ。俺が無理やり引き留めて条件付きでOKもらったけど……まだ、ちゃんとしたデートもしてねぇし、お前に『好き』って言ってもらってねぇ」
「え……っ!?」
急にそんなことを言われて、顔がカッと熱くなる。
「す、好きって……言ったじゃん! こ、心の中で!」
「心の中で言われても聞こえねぇよ」
湊はニヤニヤしながら、意地悪そうな顔で私を追い詰めてくる。
「幼馴染じゃなくて、俺のこと、男としてどう思ってんの?」
夕暮れの駅前、人通りはそれなりにあるのに、私の耳には湊の声しか届かなくなった。
美羽との闘いが終わって、ようやく訪れた「恋人同士」の時間。
でも、ここからが本当の始まりなのだ。
私は、繋いだ手を離さないまま、小さく息を吸い込んだ。