◇
その日の夜。
ご飯が終わって、食器を流しに運ぶ。
「今日、帰るの少し遅かったわね」
義母がテレビのリモコンを手にしたまま言う。
「友達と、ちょっと……」
「ちょっと?」
その一言の中に、
『説明を続けなさい』という空気が含まれている。
「体育館で、バスケの試合見てて」
嘘をつこうとして、やめた。
ほんの少しだけ、
瑠奈の『ありがとうに置き換える』ルールを思い出したから。
「バスケ?」
「うん。先輩たちが試合してて。すごくて」
語彙力のなさに、自分でも呆れる。
「……そう」
義母は、リモコンをテーブルに置いた。
「楽しかった?」
意外な質問だった。
「え?」
「バスケ、見てて。楽しかった?」
「うん……楽しかった、です」
口に出してみて、
初めて自分がそう感じていたことを自覚した。
義母は少しだけ目を細めた。
「それなら、よかった」
それだけ言って、立ち上がる。
「でも、テストのことも考えてね」
「あ……はい」
やっぱり最後にはそこに戻る。
でも、『楽しかった?』と聞かれたことは、
なんとなく胸に残った。
皿を洗いながら、
義母の背中に向かって、言葉を探す。
ごめんなさい。
大丈夫です。
私なんか。
どれも、今日の出来事にはしっくりこない。
「……ありがとう」
蛇口の水音に紛れるくらい小さな声で、
呟いてみた。
義母には、届かなかったかもしれない。
でも、自分の耳には、ちゃんと届いた。


