「……ん」
目が覚めると、白いカーテンに囲われたベッドの上にいた。
ぼんやりとした頭で、辺りを見回す。
人の気配がまったくない。保健室の先生も留守みたいだ。
……頭痛はだいぶよくなったな。しばらく眠っていたおかげかもしれない。
朝から、ずっと頭の奥がズキズキと痛んでいた。昨夜本を読んでいて寝不足だったからかもしれない。
結局、俺は六限目の授業中に耐えきれなくなり、保健室で休ませてもらったのだ。
深井が保健室まで送っていくと言って、俺をここまで連れてきてくれた。
『早く元気になって調査しような!』
余計に頭が痛くなるようなことを言ってきたことを思い出して苦笑する。
なんで深井って都市伝説があんなに好きなんだ?
……まあ、俺の兄ちゃんもだけど。都市伝説のことになると、夢中になって話すんだよな。深井と兄ちゃんって、似ているかもしれない。
シャッとカーテンが開く音がした。おそらく隣のベッドだろう。
——キィン。
「……っ!」
耳鳴りがして、ぞわりとした。
まずい。〝いる〟。さっきまではなんともなかったのに。
ふと、保健室の都市伝説が頭をよぎった。
『柚季、夕方の保健室は気をつけろよ。四時四分にひとりでベッドに寝ていると、隣のベッドにアレが現れるから』
兄ちゃんが怯える俺を見ながら、にやりとして【保健室の隣のベッド】の都市伝説を話していたことを思い出す。
心臓が激しく脈打ち始める。
今、何時だ?
壁の時計に目をやると、ちょうど四時四分を指していた。
さ、最悪だ! あの都市伝説の条件とぴったり合っている。
『そいつは、ベッドから降りると近づいてくるんだ』
ぺた、ぺた。床を湿った素足が歩くような音が聞こえてくる。
ごくり、と息をのむ。足音が俺のベッドの前で止まった。
『そして、こう言う』
——シャッと、俺のベッドを囲んでいた白いカーテンが、勢いよく開けられた。
「大丈夫? 苦シいの?」
「ひっ!」
悲鳴をあげそうになるのを、両手で必死に口を押さえて耐える。
そこにいたのは、顔全体が真っ黒に塗りつぶされた〝なにか〟だった。
のっぺらぼうのような顔の中央で、真っ赤な口だけが、にっこりと三日月型に裂けている。
「僕の身体ト、交換しテあげヨうか?」
恐怖のあまりガクガクと震えながら、俺は掛け布団を頭から被り、小さく丸まった。
怖い。どうしたらいい。
暗い布団の中で、俺は必死に記憶を掘り起こす。
ええっと、確かこの都市伝説の回避方法は……。
絶対にいいよと言わないこと。
だけど、それだけじゃダメだったはずだ。
あとは、なんだったっけ。思い出せ、俺……!
『もしも黙って耐えるのが辛かったら、こう言えばいいよ』
掛け布団から出るのは怖い。あの幽霊がまだ傍にいるはずだ。だけど、このまま耐えるよりは試してみた方がいい。
頭から被っていた掛け布団から出ると、真っ黒な顔が目前にいた。
「うわああああ!」
恐怖のあまり、俺は幽霊から遠ざかろうと身をよじる。けれど足が震えてうまく動けず、そのままベッドの端から床へと転げ落ちてしまった。
「……っ、痛!」
思いっきり尻餅をついてしまい、痛みに顔を歪める。
「大丈夫? 僕の身体ト、交換シよウ」
幽霊が俺の目の前にしゃがみ込むと、赤い口角をニッと吊り上げた。
「な、治った! もう治ったから!」
痛みが治ったと言えば、身体を交換することを諦める。兄ちゃんが言っていた対処法を思い出し、俺は涙目になりながら必死に声を張り上げた。
「痛イって言っテたよネ? ネぇ、なンで嘘つクの……?」
しまった……!
さっきの思わず漏らした言葉を聞かれていたらしい。
さぁっと血の気が引く。ま、まずい!
「どウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテどウしテ!」
至近距離で連呼してくる。低い耳障りな声が頭の中に直接響いた。
「や、やめろ……! 頼むからどっか行ってくれよ!」
「ネぇ、僕の身体ト、交換シよウ」
「いやだ!」
黒い手がぬっと俺の方へ伸びてきた。首を掴まれ、じわりと目に涙が浮かぶ。
「う……っ、あ……」
く、苦しい。息が……できな……っ!
意識が飛びそうになった瞬間——。
ガラガラッと保健室の引き戸が開く音がした。
「金城〜! 体調は大丈夫か〜! って、な、なんだそいつ……!」
深井の大きな声が保健室に響く。俺の首を絞めていた幽霊は「チッ」と舌打ちをした。
「お前、金城から離れろ!」
勢いよく深井がこちらに向かって駆けてくる。そして、幽霊に思いっきり飛び蹴りをした。
「うおらぁッ!」
深井の上履きが空気を切り裂いて、幽霊のど真ん中に突き刺さった。
「ウぎィ!」
すると、幽霊がうめき声をあげて吹っ飛んでいった。
「……ッもウ少しデ、身体ヲ奪エたノに」
幽霊は悔しそうに呟くと、床に染み込むようにしてドロドロと消えていった。
「ケホッ、ケホッ」
俺は咳き込みながら、その場に崩れ落ちた。
本気でもうダメかと思った。それにしても、なんだよあれ。幽霊に飛び蹴りなんて、通用するのかよ。
「は……はは……あはは、深井……なんだよさっきの。飛び蹴りって!」
思い出すだけでおかしくて笑ってしまう。幽霊に飛び蹴りなんて、兄ちゃんからも聞いたことがない話だ。
さっきまで泣くほど怖かったはずなのに、無鉄砲な深井の行動に声をあげて笑ってしまう。
お腹を抱えて笑う俺を見て、深井も「俺もまさか通用すると思わなかったわ〜!」と頭をかいて笑った。ひとしきり笑い終えると、俺はふうっと深いため息をついた。全身から、一気に緊張の糸が抜けていく。
「金城、大丈夫か?」
「うん。なんとか」
深井がこのタイミングで来てくれなかったら、おそらく俺はあの幽霊に身体を乗っ取られていた。想像するだけで背筋がぞっとする。
けれど、隣で「すっげー! 幽霊って蹴れるんだな!」と目を輝かせている深井を見ていると、不思議とさっきより怖くなくなっていた。
「今のって都市伝説だよな?」
こくりと頷く。深井もすぐに察したらしい。
「……夕方の保健室の都市伝説だ」
「やっぱり! 【保健室の隣のベッド】だよな? あれ本当だったんだな。でも、あんな恐ろしい都市伝説だとは知らなかったな」
深井はそう言うと、俺の隣に腰掛けて、「大丈夫か?」ともう一度聞いてくれる。
さっきまで幽霊に飛び蹴りをしたとは思えないくらい、俺の背中をさする深井の手は優しかった。
普段は人の話を聞かないし、猪突猛進って感じのやつだけど……。案外、優しいところもあるんだな。
「ホームルーム終わったからさ、様子見に来たんだよ。間に合ってよかった〜」
見れば、深井の肩にはスクールバッグがふたつかかっている。
どうやら、俺の分のカバンまで教室から持ってきてくれたらしい。
「助かったよ。……本当にありがとな」
「おう!」
太陽みたいに眩しい深井の笑顔を見ていると、恐怖でガチガチにこわばっていた身体の筋肉が緩んでいくのがわかった。
思い出したくもない恐怖だったけれど、命の恩人へのせめてものお礼だ。俺は頭をフル回転させて、さっきの幽霊の行動パターンを分析し、口を開いた。
「……さっきの都市伝説さ、治ったって言えば回避できるって噂だったけど、絶対じゃなかったんだ。俺が床に落ちて痛って言った瞬間、嘘がバレて襲ってきた。つまり、怪我や痛みが実在する状態だと、言葉だけの嘘は通用しないみたいだ」
「ほうほう!」
「それに下手に会話を長引かせると、精神攻撃が過激になっていく。ただ、人が来ると逃げたってことは……第三者か、大きな音が苦手なのかもしれない。だから深井の飛び蹴りや、大声が効いたんだと思う。……って、なんだよ」
そこまで一気に喋ったところで、深井が目を丸くして、完全にフリーズしていることに気づいた。
「……な、なんだよ。人が真面目に分析してやってるのに」
深井の顔が、パァッと明るくなっていく。
「金城が協力してくれると思わなかった!」
「だって、都市伝説検証サイト作ってるんだろ? それに俺と同じ目に遭う人だっているかもしれないし、情報があった方がいいかと思って……」
ガシッと俺の肩を両手で掴むと、深井が笑顔で「ありがとう!」と言ってきた。
「やっぱ、金城は最高の相棒だ!」
「え、いや……俺、相棒じゃないんだけど」
怖いことは苦手だし、今日みたいな体験はもうまっぴらごめんだ。
だけど、俺のために幽霊に飛び蹴りを食らわせてくれた深井を、どうしても無下に振り払うことができなかった。
「そもそも俺、怖がりだし。そういうの向いてないから」
「でも、都市伝説について詳しいだろ!」
「それはそうだけど……」
こんなの兄ちゃんの受け売りだ。しかも、強制的に覚えさせられた。
「さっきの都市伝説について話していたとき、金城いつもより活き活きして見えたけどな!」
「え、俺が?」
「うん。専門家って感じでかっこよかった!」
自分の考えをまとめて言葉にするのは、嫌いじゃない。だけど……。
「俺のサポートをしてくれる、相棒がほしいんだ! 頼むよ、金城!」
「でも……」
「なにかあったら、俺が絶対に守る!」
都市伝説なんてできだけ関わりたくないと思っていた。
だけど、必死に頼んでくる深井を見ていると、不思議とちょっとくらいやってみてもいいのかもしれないと思えてくる。
「……相棒(仮)なら」
「やった〜!」
深井は立ち上がると、両手をあげて大はしゃぎをしている。かなり嬉しいらしい。
「よろしくな、相棒!」
俺に片手を差し出し、深井がニコッと笑ってくる。
「いろいろな都市伝説を調査していこうぜ!」
「……お試しだからな」
差し出された手に自分の手を重ねると、ぐいっと力強く引っ張り上げられた。
怖いのは苦手だ。たぶんこの先も、それは変わらないだろう。
だけど、深井と一緒なら、兄ちゃんに叩き込まれたあのオカルトの知識が、今度は誰かを守るための力になるかもしれない。
「さ、次はどんな都市伝説にするかな〜!」
「それより、今日の体験のまとめをつくらないとだろ」
「おっ! やる気満々だな! 金城」
ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくる深井を睨みつける。
「うるさい。やっぱ手伝うのやめるか」
「ええ! なんでだよ〜!」
「はあ、早く帰ろう。もう日が暮れ始めてる」
気づけば、空はオレンジ色に染まっていた。窓の外からは、運動部の掛け声が響いてくる。
ベッドを整えると、俺たちは放課後の保健室をあとにした。
【保健室の隣のベッド】
・四時四分にひとりでベッドに寝ていると、隣のベッドに幽霊が現れる
・身体の交換をしようと言われても、「いいよ」と言ってはいけない
・会話を続けると、精神攻撃をしてくる
・「治った」と言えば、回避できる。けれど、怪我をしている状況だと、通用しない
・大きな音が苦手、もしくは第三者が保健室へ来ると逃げる
・飛び蹴りも効く!(実証済み)



