俺、金城柚季は大抵のことはなんでもできる。
勉強だって運動だってやればすぐにできたし、曲を聴いただけで楽譜を見なくてもピアノが弾ける。
だけど、そんな俺にも唯一の弱点がある。
それは、怖いものが苦手ということ。幽霊とか妖怪とか、そういった話はできるだけ聞きたくない。
それも全部六つ年の離れた兄ちゃんのせいだ。
幼稚園児の頃から、怖いものが大好きな兄ちゃんに都市伝説の話を聞かされていた。
おかげで、対処法なんかも頭に叩き込まれている。
たとえば、口裂け女に『私、きれい?』と聞かれたら、〝まあまあきれい〟と言って戸惑わせた隙に逃げるという話は有名だけど、そんなの本当に数秒の時間稼ぎでしかないんだ。
口裂け女の足は速いから、すぐに追いつかれてしまう。
〝ポマード〟と叫ぶと、その匂いが苦手な口裂け女は怯んで逃げるっていうのも有名だ。でもそれもポマードって整髪料を持っていないと意味がない。
本当の対処法は、飴をあげること。それをあげたら、口裂け女は夢中になって食べはじめる。その隙に急いで逃げるのが正解だ。
……もしも飴を持っていなかったら?
そういうときは、『教えてあげるから、こっちに来て』と言って、人がいるところへ口裂け女を連れていくしかない。普段顔を隠している口裂け女は、人が大勢いる場所が苦手なんだ。だから、人が大勢いると慌てて逃げていく。
こんな感じで、気づけば俺は都市伝説の知識だけは人よりも豊富なビビリになってしまっていた。
しかも、小学生の頃、友達がした怪談話に悲鳴をあげて怯えてしまったことがきっかけで、ビビリくんというあだ名をつけられてしまったのだ。
だけど、中学校では気持ちを新たに、ビビリというイメージを消して、クールでかっこいい金城柚季になるって決めていた。……それなのに。
「お前が金城柚季だよな? 俺は深井翠」
昼休みのチャイムが鳴って、騒がしい廊下を歩いていると、突然深井翠から声をかけられた。嫌な予感がする。
深井は入学式のときから目立っている男子だった。目尻の吊った大きな目に、よく通る大きな声。明るくてフレンドリーな性格で、人に囲まれていた。
そして最も注目を浴びていたのは、〝都市伝説調査団〟という変わった活動だ。
「……どうも」
軽く挨拶だけ返して通り過ぎようとすると、肩をポンっと叩かれる。
「金城の兄ちゃんって、都市伝説マニアで有名なナツメなんだって?」
はあ、やっぱり。それで興味を持ったのか。
俺の兄ちゃんは、都市伝説マニアという肩書きで活動していて、オカルト好きなら知らない人はいないってくらい有名配信者。視聴者から寄せられた体験談を紹介して、視聴者参加型で考察をしていくスタイルが大人気なんだ。
きっと同じ小学校の誰かが、深井にそのことを話したのだろう。
「俺、都市伝説調査団をしてるんだ。よかったら金城も一緒にやろうぜ!」
勧誘された俺は慌てて首を横に振る。
「無理」
クラスの人たちから聞いた話によると、街で噂されている都市伝説について調べて、検証サイトを作っているらしい。
そんなのビビリな俺にできるはずがない。
「メンバーはまだ俺ひとりでさ、相棒がほしいな〜って思ったときに、ちょうど金城の話を聞いたんだ」
「いや、でも……都市伝説好きなのは、俺じゃなくて兄ちゃんだし」
「とにかくさ、俺の相棒になってほしい!」
「だから、無理だって!」
「無理かどうかは、やってから決めようぜ!」
「人の話聞けって……!」
必死に抵抗をしても、深井は俺の腕を掴んでどこかに向かって歩いていく。
なんでこんなに力が強いんだよ!
「実はさ〜、気になる都市伝説があるんだ。四階にある開かずの教室って知ってるか?」
「……知ってるけど」
「なら話は早いな!」
嫌な予感がする。まさか、俺をそこに連れていく気なのか?
階段を上がり、四階まで到着すると三年生の教室が並ぶ廊下を進んでいく。そして、突き当たりのドアが閉まった部屋の前で深井が立ち止まった。
昼休みなのに、この部屋の周りだけ、妙にひっそりとしていて不気味だ。
「ここだな」
「……本気?」
「おう! 不思議な空間に行けるらしいし、一度経験してみたいじゃん?」
いや、してみたくない。
ええっと、四階の開かずの教室ってどんな都市伝説だったっけ。
たしか前に、兄ちゃんが話してたけど……。
『鍵がかかったドアを四回ノックすると開くんだ』
深井がドアの取っ手に触れる。ガタガタと揺れるけれど、開かない。完全に閉まっているらしい。
「よし、やってみるか」
トントントントン、とドアを深井が叩く。
すると、カチャリと硬い音が響いた。
ごくりと息をのむ。鍵が開いた音だ。兄ちゃんが言っていた都市伝説は本当だったんだ。
深井が再びドアの取っ手に手を伸ばすと、ゆっくりと開かれた。
「すげえ! マジで開いた!」
深井が目を輝かせて、躊躇なく中に足を踏み入れる。ドアの向こう側が薄暗くて、鳥肌が立つ。
『けどな、気をつけろよ? 中に入っちゃダメだ。もしも入ったら——』
……まずい。慌てて、止めようとするが、俺の制止なんて、深井の耳には届いていない。
「深井、入っちゃダメだ!」
俺の腕を掴んだまま、深井は教室の中に足を踏み入れる。一歩入った瞬間、肌がぞわりとした。
おかしい。五月なのに、息が白くなりそうなほど空気が冷え切っている。
やっぱりここには入ってはいけなかったんだ。
『もしも入ったら、五秒以内に外に出るんだ。じゃないと、鍵が閉まって閉じ込められるからな』
続きを思い出して、血の気が引いた。今、何秒たった?
とにかくここから出ないと。
「深井、戻ろう! ここは五秒しかいちゃいけないんだ!」
「え?」
俺は深井のブレザーの袖を掴んで引っ張る。けれど、すでに遅かった。俺の背後で、ドアが音を立てて勢いよく閉まった。ドアノブを掴んでもびくともしない。
「さ、最悪だ……」
こんな空間に、しばらくいないといけないなんて。
「うわあ! 都市伝説通りじゃん!」
俺と違ってテンションが上がっている深井を見て、ため息をつく。なんでこんなに楽しそうなんだよ。
「これは絶対サイトに載せないとな!」
「はぁ……すごいな。深井って」
俺はその場に座り込み、膝を抱える。この先起こることを想像するだけで、手が震えた。
「だってさ、こんな経験なかなかできないじゃん!」
「……次の休み時間まで出られないんだぞ」
この都市伝説は、次の休みまでドアが開かず、閉じ込められるというものだ。授業をサボることになって、あとで先生に怒られるだろう。それも最悪だけど、不安要素がもうひとつある。
「この教室を隅々まで調べておかないとな!」
深井って本当に怖いもの知らずだ。俺だったら、そんな発想にならない。
「あのさ、ひとつ言っておかないといけないことがあるんだけど……」
俺の言葉を遮るように、音が響いた。
——トントントントン。
「ひぃっ!」
身体をびくりと震わせて、恐怖のあまり声を上げてしまう。間違いなくドアの方から聞こえた。……誰かが外からドアをノックする音だ。
「う……っ」
キィンと低くて不快な耳鳴りがする。ああ、やっぱり兄ちゃんの言うとおりだ。
「え、俺ら以外にも試してるやつがいるのかな」
呑気にドアの方へ近づこうとした深井を慌てて止める。
「ダメだ、深井!」
今、開けようとしてはいけない。
「……ド、ドアの向こう側は、俺らがいた世界じゃない」
「え、どういうことだ?」
「……今、黄泉の国と繋がっているんだ。だから、開けたら引きずっていかれる!」
——トントントントン。
「あー……ケ……て」
掠れた声が聞こえてくる。声を無視していると、ドアのすりガラスの部分を今度はドンドンドンと激しく叩いてきた。
「開ケろ!」
叱りつけるような大きな声に、俺は目に涙を浮かべながらガクガクと震える。
「ひっ! 無理無理無理無理!」
——ドン!
「こラ! 早ク開ケろト言っテるダろ!」
すりガラスの向こうの影をじっと見ていた深井が、不思議そうに首を傾げた。
「なぁ金城。あれ、体育のタッツー先生じゃね? 幽霊なんかじゃないって。俺らが授業にいないから、怒って探しに来たんだよ」
「違う! 絶対に開けちゃダメだ!」
ここで開けたら俺たちは間違いなく、〝連れていかれる〟。
「落ち着けって。どういうことか説明してくれよ」
震えながらうずくまる俺の手を、深井が掴んできた。その表情は真剣だった。
「ま、前に兄ちゃんが言ってたんだ。閉じ込められている間は、ドアの向こうに幽霊たちがやってくるって。俺たちを騙してドアを開けさせるために、知っている人の声を真似するんだよ……!」
「んー、でも俺には普通にジャージ姿のタッツー先生に見えるんだけどな」
「……耳鳴り」
ぽつりと呟く。さっきからずっと、頭が割れそうなほど不快な低音が響いている。
「俺……幽霊が近くにいるとひどい耳鳴りがするんだ。だから、絶対あれは先生じゃない!」
たぶん母さんの遺伝なのだと思う。俺も兄ちゃんも同じ体質だ。
こんなことを話しても、どうせ信じてもらえないだろう。
ただのビビりだと笑われるはず。
そう思って、深井の顔をうかがうと、むしろ目を輝かせていた。
「すっげー! 特殊能力じゃん!」
「へ?」
「都市伝説に詳しいだけじゃなくて、そんな力まであるのかよ!」
思っていた反応と違っていて、拍子抜けしてしまう。
やっぱり深井って変わった人だな。
——ドンドンドン。
「ひぃ!」
頼むから、早く次の休み時間になってくれ。
「てことは、あれはタッツー先生のフリをした幽霊ってことか」
「……そうだね。俺らが油断して開けるように、化けているんだと思う」
ドアを叩く音が止んだ。視線を向けると、すりガラス越しに首がぐにゃんと曲がっている姿が見て、絶句する。
「トモダチにすレばよカっタかなぁ」
その言葉を聞いて、ぞわりとする。先生じゃなくて、友達に化けていたらドアを開けたんじゃないかという意味だろう。
「ネえ、開ケて〜! 助ケて! オ願い!」
ドアの向こうに見える影が小さくなり、クラスの女子生徒の声に変わる。
涙声で必死に助ける声に胸がざわついた。幽霊だとわかっていても無視をしていることに罪悪感を覚える。
「こんなことまでできるのかよ」
さすがの深井も驚いて目を見開いた。
「……幽霊はこういうことをしてくるから危険なんだ。情は見せちゃいけない」
見せたら、最後。
心の隙をつかれて、のみこもうとしてくる。
……あのときだって、そうだった。
目を瞑れば、小学生の頃の出来事が頭に浮かぶ。
俺がまだ小学三年生の頃、おばあちゃん家の近くで出会った同い年くらいの男の子がいた。迷子になって、ひとりじゃ怖いから一緒にいてほしいと泣きつかれたのだ。
不安だと言うその子に同情して、俺は『いいよ』と言ってしまった。その瞬間、男の子の口は裂けて目は三日月のように細く変化した。
そして手で俺を掴み、森の奥へ連れ込もうとしていた。離してくれと暴れても力では勝てない。
間一髪のところで、兄ちゃんが気づいてくれて助けてくれた。
あのとき、兄ちゃんがいなかったらと考えると、今でもぞっとする。
「ひドいよ……。どウしテ助けてクれナいの?」
ハッと我に返る。ドアの向こう側から、泣き出す声がする。こうやって良心が痛むことをするのも、悪い幽霊のやり方だ。
「俺はそっちに一緒に行けねぇ!」
突然立ち上がり、ドアの前に立った深井が大きな声で宣言する。
「お、おい、なにやってんだよ……!」
幽霊と会話をしようとするなんてどうかしている。
「……ねえ、なんで開けてくれないの」
「俺がいなくなったら寂しがる人がいるから。だから、このドアは開けられない!ごめんな」
不思議なことに、ドアの向こうの影がスッと消えていった。
いったいなにが起こったんだ?
「理解してくれたっぽいな!」
ニッと深井が歯を見せて笑った。そして、「もう怖がることないだろ?」と俺の肩を深井が軽く叩く。
人を連れて行こうとする幽霊が、話を聞いてくれるなんてありえない。そう思っていたけど、聞いてくれることもあるのか……?
——キーンコーンカーンコーン。
授業が終わったチャイムが鳴り響く。どうやらいつのまにか時間が過ぎていたらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。ようやく恐ろしい時間が終わった。
「おー! 開いた!」
深井がドアを開けると、見慣れた廊下に出る。よかった。これで安心だ。
「すっげー経験したなぁ! サイトに書かないと!」
「あんな体験したのに、なんで平気なんだよ」
疲れ切っている俺とは違って、深井はウキウキしているように見える。
「普通じゃできない体験をしたんだぜ! 記録に残さないともったいないじゃん! 噂の都市伝説が本当だったってわかったしさ」
もしかしたら、深井の眩しいくらいの真っ直ぐな言葉が、幽霊の暗い未練を弾き飛ばしたのかもしれない……。
なんて、そんなわけないか。運が良かったに違いない。
その日の放課後、俺と深井は先生に呼び出され、授業をサボったことについて叱られた。
「実は気になっていた都市伝説があって」
都市伝説調査について正直に話そうとした深井の言葉を、俺は慌てて「具合が悪くて!」と遮った。
「と、都市伝説の話をふたりでしていたら、急に俺が具合悪くなって、動けなくて……それで深井が傍にいてくれたんです」
慌てて誤魔化すと、先生は呆れた様子で「そういうときは先生を呼びなさい」と言って許してくれた。信じてくれたかはわからない。だけど、なんとか乗り切れてよかった。
もうあんなことは二度とないようにしないと。
職員室から出ると、深井が俺を肩に手を回してきた。
「初調査、大成功だな!」
「俺は巻き込まれただけだから」
「なあ、金城! 次はどれを調査する?」
「しない」
やる気に燃えている深井を横切り、俺は早歩きで教室へ向かう。
これ以上、関わるのはごめんだ。もうあんな怖い体験はしたくない。
「おーい! 待って〜!」
後ろから叫びながら深井が追いかけてくる。だけど、俺は足を止めることなく、階段を急いで降りて昇降口へ向かった。
【四階にある、開かずの教室】
・鍵がかかっているドアを四階ノックする。
・中に入ったら、五秒以内に出ないと次の休み時間まで閉じ込められる。
・閉じ込められている間、ドアの向こう側は黄泉の国と繋がっている。
・誰かがノックをして、「開けて」と言ってきても、開けてはいけない。
・「一緒には行けない」とハッキリと言うと、幽霊が諦める。(実証済み!)



