二人は熱く口づけを交わし、そのまま強く抱きしめ合った。柔らかな唇を離すと、弥生が名残惜しそうに愛斗の瞳を見つめる。
「今日も……このあと、部屋に来てくれる?」
「もちろんだよ。いつもの席で、ずっと待ってるから」
「うん……」
もう一度軽くキスを交わし、弥生は愛斗の家を後にした。そして足早に自分の居場所である相撲部屋へと戻る。愛斗もそれから少し時間を置き、弥生との約束通り、彼がいつも応援に訪れているように部屋へと向かった。
土俵の方へと歩いていくと、通路の脇には吾郎が腕を組み、不機嫌そうな顔で立っていた。愛斗が近づくなり、鼻で笑うように言い放つ。
「またお前か? こんなところまで来やがって……所詮、場違いなんだよ。若造が何の用だ」
愛斗は悔しさに歯を食いしばったが、ここで口論になれば弥生に迷惑がかかると思い、ぐっと言い返す言葉を飲み込んだ。その沈黙を弱気と取ったのか、吾郎がさらに嫌味を重ねようとした、その時だった。
「あなた、そんな言い方、しないでください」
聞き慣れた柔らかい、だが芯の通った声が響いた。弥生がゆっくりと二人の間に入り、吾郎を真っ直ぐに見据えている。
「若い方が相撲を好きでいてくださるなんて、とても素敵なことじゃないですか。私は少しも、場違いなんて思っていませんよ」
「は?お前には関係ないだろうが」
「関係あります。私はこの部屋のおかみさんですから。部屋のこと、皆のこと、それにお客様のことについて、私だって意見は言わせてもらいます」
弥生の凛とした態度に、周りで稽古を見ていた他の力士たちも頷き、愛斗の方に歩み寄ってくれた。
「そうだぞ、別に邪魔なんてしてないだろ」
「相撲が好きで来てくれる人に、そんな言い方はないだろ」
周りからの援護に吾郎は面白くなさそうに顔をしかめたが、反論できずに自分の定位置へと座り込んだ。
愛斗は弥生に向き直り、深く頭を下げる。
「弥生さん……ありがとうございます。助かりました」
「いいのよ、気にしないで」
周りの力士たちにも向き直り、柔らかく微笑む。
「皆さんもありがとう。これからも楽しく相撲を見守らせてくださいね」
「はい、おかみさん」
力士たちも安心した様子で笑い合い、それぞれ稽古へと戻っていった。
愛斗は席に着きながら、少し離れた場所にいる弥生をそっと見つめた。彼女がふとこちらを向いた瞬間、愛斗は心の底から嬉しそうに笑い、「自分がどれほど愛しているか」を瞳いっぱいに込めて、まっすぐに訴えかけた。弥生もその想いを受け取り、小さくだが確かに頷いてくれた。
しばらくして稽古の合間になると、弥生が盆に紅茶を乗せて愛斗のもとへとやってきた。誰にも聞こえないように、そっと彼の隣に腰を下ろす。
「愛斗くん、さっきは大丈夫だった? 怖かったでしょう?」
「うん、全然。弥生が守ってくれたから、何も怖くなんてなかったよ。ありがとう、弥生」
「ふふ……あなたのために言っただけだから」
二人は目を合わせ、声を抑えながらも楽しそうに笑い合い、他愛のない話に花を咲かせた。
少し離れた柱の陰から、吾郎がその様子を睨むように見ていた。
二人の会話の内容までは聞こえなかったが、弥生が自分には決して見せないような、柔らかく蕩けるような笑顔を愛斗に向けているのがはっきりと見えた。
吾郎は胸の奥が煮えたぎるような不快感を覚え、舌打ちをする。
――あの女……あの若造に、恋でもしてるんじゃないだろうな。
周りの力士たちは試合や稽古に集中していて、おかみさんと若い男性の親密な様子には誰も気づいていないようだった。
その日の興行が全て終わり、愛斗は名残惜しみながらも部屋を後にした。弥生も仕事を済ませ、自室に戻ろうとしたとき、入口の戸が荒々しく開き、吾郎が不機嫌そうな顔で帰ってきた。
弥生はいつものように笑顔で出迎える。
「おかえりなさいませ、吾郎さん。お疲れ様でした」
すると吾郎はいきなり弥生の胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた。
「お前……あの若い男、愛斗って奴に惚れてんだろ?」
弥生は驚き、目を丸くする。
「え……? そんな、わけあるわけないじゃないですか」
「嘘をつけ! お前、あいつの前じゃ女の顔になってやがった。いい年して何を勘違いしてるんだ。自分の年齢を考えろ、気持ち悪い」
吾郎の言葉は容赦なく、弥生の心をえぐる。
「大体、あいつはお前のことなんて何とも思っちゃいねえよ。若い男から見たら、お前なんてただの……ただのキモイ年食った女にしか見えねえんだよ! お前が恋するなんて、おこがましいにも程があるんだ!」
「……私のことを悪く言うのは、構いません」
弥生は涙を堪えながら、震える声で言った。
「でも……でも、あの人のことだけは、悪く言わないでください……!」
その言葉が吾郎の逆鱗に触れた。彼は完全にブチ切れ、怒りのままに弥生を殴りつけ、蹴りつけた。何度も何度も乱暴に痛めつけ、弥生が声も出せずに倒れ込むと、着衣を乱れさせたままの彼女を乱暴に外へと放り出した。
「このクソ女が! 頭冷やして反省しろ!」
戸が荒々しく閉められ、鍵がかかる音が響く。
外は生ぬるい雨が降り注いでいた。弥生は裸足のままアスファルトの上に倒れ、体中の痛みと心の痛みに声を上げて泣いた。雨が頬を伝う涙を隠してくれたが、止まることはなかった。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。弥生はゆっくりと立ち上がり、裸足のまま、ただ一つの救いを求めて暗い道を歩き出した。
やがて、見慣れた家の前にたどり着く。彼女は震える指でインターホンを押した。
ガチャリと戸が開き、愛斗が顔を出した。その瞬間、彼は息を呑んだ。
雨に打たれてずぶ濡れになり、裸足の足元は泥だらけ。着ていた服は破れ、体のあちこちにあざや擦り傷が浮かび、唇も切れて腫れ上がった弥生が、そこに立っていたからだ。
「弥生さん……! どうしてこんな……!」
愛斗は驚きと怒りと悲しみが一気に押し寄せるのを感じ、すぐさま弥生を家の中へと引き入れた。
「とにかく中に入って。……話はあとでゆっくり聞くから、まずは体を温めて。シャワーを浴びてきて」
「……ありがとう、愛斗くん」
弥生は声も出せないほど震えながら、小さく礼を言った。
愛斗は慌てて風呂場からタオルを持ってくると、彼女の体を拭き、風呂場へと促した。弥生がシャワーを浴びている間、彼女が裸足で歩いてきたせいで玄関や廊下についた雨の染みや泥の跡を、愛斗は黙って丁寧に拭き取っていった。
しばらくして、風呂場の戸が開いた。
弥生は愛斗の部屋にあった男性用の大きなシャツを借りて着ていた。髪はまだ少し濡れ、顔色も優れないが、外にいたときよりは幾分落ち着いて見えた。
「弥生さん、ここに座って」
愛斗はソファに彼女を座らせ、暖かいコーヒーをマグカップに注いでテーブルに置いた。
「砂糖もミルクもたっぷり入れたから。……ゆっくりでいいから、何があったのか、全部話してくれないか」
「今日も……このあと、部屋に来てくれる?」
「もちろんだよ。いつもの席で、ずっと待ってるから」
「うん……」
もう一度軽くキスを交わし、弥生は愛斗の家を後にした。そして足早に自分の居場所である相撲部屋へと戻る。愛斗もそれから少し時間を置き、弥生との約束通り、彼がいつも応援に訪れているように部屋へと向かった。
土俵の方へと歩いていくと、通路の脇には吾郎が腕を組み、不機嫌そうな顔で立っていた。愛斗が近づくなり、鼻で笑うように言い放つ。
「またお前か? こんなところまで来やがって……所詮、場違いなんだよ。若造が何の用だ」
愛斗は悔しさに歯を食いしばったが、ここで口論になれば弥生に迷惑がかかると思い、ぐっと言い返す言葉を飲み込んだ。その沈黙を弱気と取ったのか、吾郎がさらに嫌味を重ねようとした、その時だった。
「あなた、そんな言い方、しないでください」
聞き慣れた柔らかい、だが芯の通った声が響いた。弥生がゆっくりと二人の間に入り、吾郎を真っ直ぐに見据えている。
「若い方が相撲を好きでいてくださるなんて、とても素敵なことじゃないですか。私は少しも、場違いなんて思っていませんよ」
「は?お前には関係ないだろうが」
「関係あります。私はこの部屋のおかみさんですから。部屋のこと、皆のこと、それにお客様のことについて、私だって意見は言わせてもらいます」
弥生の凛とした態度に、周りで稽古を見ていた他の力士たちも頷き、愛斗の方に歩み寄ってくれた。
「そうだぞ、別に邪魔なんてしてないだろ」
「相撲が好きで来てくれる人に、そんな言い方はないだろ」
周りからの援護に吾郎は面白くなさそうに顔をしかめたが、反論できずに自分の定位置へと座り込んだ。
愛斗は弥生に向き直り、深く頭を下げる。
「弥生さん……ありがとうございます。助かりました」
「いいのよ、気にしないで」
周りの力士たちにも向き直り、柔らかく微笑む。
「皆さんもありがとう。これからも楽しく相撲を見守らせてくださいね」
「はい、おかみさん」
力士たちも安心した様子で笑い合い、それぞれ稽古へと戻っていった。
愛斗は席に着きながら、少し離れた場所にいる弥生をそっと見つめた。彼女がふとこちらを向いた瞬間、愛斗は心の底から嬉しそうに笑い、「自分がどれほど愛しているか」を瞳いっぱいに込めて、まっすぐに訴えかけた。弥生もその想いを受け取り、小さくだが確かに頷いてくれた。
しばらくして稽古の合間になると、弥生が盆に紅茶を乗せて愛斗のもとへとやってきた。誰にも聞こえないように、そっと彼の隣に腰を下ろす。
「愛斗くん、さっきは大丈夫だった? 怖かったでしょう?」
「うん、全然。弥生が守ってくれたから、何も怖くなんてなかったよ。ありがとう、弥生」
「ふふ……あなたのために言っただけだから」
二人は目を合わせ、声を抑えながらも楽しそうに笑い合い、他愛のない話に花を咲かせた。
少し離れた柱の陰から、吾郎がその様子を睨むように見ていた。
二人の会話の内容までは聞こえなかったが、弥生が自分には決して見せないような、柔らかく蕩けるような笑顔を愛斗に向けているのがはっきりと見えた。
吾郎は胸の奥が煮えたぎるような不快感を覚え、舌打ちをする。
――あの女……あの若造に、恋でもしてるんじゃないだろうな。
周りの力士たちは試合や稽古に集中していて、おかみさんと若い男性の親密な様子には誰も気づいていないようだった。
その日の興行が全て終わり、愛斗は名残惜しみながらも部屋を後にした。弥生も仕事を済ませ、自室に戻ろうとしたとき、入口の戸が荒々しく開き、吾郎が不機嫌そうな顔で帰ってきた。
弥生はいつものように笑顔で出迎える。
「おかえりなさいませ、吾郎さん。お疲れ様でした」
すると吾郎はいきなり弥生の胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた。
「お前……あの若い男、愛斗って奴に惚れてんだろ?」
弥生は驚き、目を丸くする。
「え……? そんな、わけあるわけないじゃないですか」
「嘘をつけ! お前、あいつの前じゃ女の顔になってやがった。いい年して何を勘違いしてるんだ。自分の年齢を考えろ、気持ち悪い」
吾郎の言葉は容赦なく、弥生の心をえぐる。
「大体、あいつはお前のことなんて何とも思っちゃいねえよ。若い男から見たら、お前なんてただの……ただのキモイ年食った女にしか見えねえんだよ! お前が恋するなんて、おこがましいにも程があるんだ!」
「……私のことを悪く言うのは、構いません」
弥生は涙を堪えながら、震える声で言った。
「でも……でも、あの人のことだけは、悪く言わないでください……!」
その言葉が吾郎の逆鱗に触れた。彼は完全にブチ切れ、怒りのままに弥生を殴りつけ、蹴りつけた。何度も何度も乱暴に痛めつけ、弥生が声も出せずに倒れ込むと、着衣を乱れさせたままの彼女を乱暴に外へと放り出した。
「このクソ女が! 頭冷やして反省しろ!」
戸が荒々しく閉められ、鍵がかかる音が響く。
外は生ぬるい雨が降り注いでいた。弥生は裸足のままアスファルトの上に倒れ、体中の痛みと心の痛みに声を上げて泣いた。雨が頬を伝う涙を隠してくれたが、止まることはなかった。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。弥生はゆっくりと立ち上がり、裸足のまま、ただ一つの救いを求めて暗い道を歩き出した。
やがて、見慣れた家の前にたどり着く。彼女は震える指でインターホンを押した。
ガチャリと戸が開き、愛斗が顔を出した。その瞬間、彼は息を呑んだ。
雨に打たれてずぶ濡れになり、裸足の足元は泥だらけ。着ていた服は破れ、体のあちこちにあざや擦り傷が浮かび、唇も切れて腫れ上がった弥生が、そこに立っていたからだ。
「弥生さん……! どうしてこんな……!」
愛斗は驚きと怒りと悲しみが一気に押し寄せるのを感じ、すぐさま弥生を家の中へと引き入れた。
「とにかく中に入って。……話はあとでゆっくり聞くから、まずは体を温めて。シャワーを浴びてきて」
「……ありがとう、愛斗くん」
弥生は声も出せないほど震えながら、小さく礼を言った。
愛斗は慌てて風呂場からタオルを持ってくると、彼女の体を拭き、風呂場へと促した。弥生がシャワーを浴びている間、彼女が裸足で歩いてきたせいで玄関や廊下についた雨の染みや泥の跡を、愛斗は黙って丁寧に拭き取っていった。
しばらくして、風呂場の戸が開いた。
弥生は愛斗の部屋にあった男性用の大きなシャツを借りて着ていた。髪はまだ少し濡れ、顔色も優れないが、外にいたときよりは幾分落ち着いて見えた。
「弥生さん、ここに座って」
愛斗はソファに彼女を座らせ、暖かいコーヒーをマグカップに注いでテーブルに置いた。
「砂糖もミルクもたっぷり入れたから。……ゆっくりでいいから、何があったのか、全部話してくれないか」

