家に帰り着いた夜は、これまでとは少し違う重みと温かさを伴って過ぎていった。そして迎えた次の日、愛斗は定められた時間に事務所へ赴き、必要な書類一式を提出し、正式に雷門相撲部屋の新会長としての立場に就いた。手続きは滞りなく進み、これから始まる新しい日々への覚悟が、胸の奥にしっかりと刻まれていくのを感じた。
仕事を終えて帰路につく途中、少し小腹が空いた愛斗は道沿いのコンビニに立ち寄った。飲み物と軽いつまみを手に取り、レジへ向かおうとしたとき、背後から声がかけられた。
「おい、愛斗じゃないか?」
振り返ると、日焼けした肌に作業着を着込み、がっしりとした体つきの男性が笑みを浮かべて立っていた。記憶をたどるまでもない、高校時代の同級生で、今は大工として腕を磨いている力斗だった。
「力斗か! 久しぶりだな。こんなところで会うとは」
「仕事の帰り道でね。お前のこと、新会長になったって話を小耳に挟んだぞ。すごいじゃないか」
二人は店の外に出て、少しの間立ち話をした。近況を報告し合い、昔話にも花を咲かせるうちに、力斗は嬉しそうに申し出てくれた。結婚と新会長就任の両方の祝いとして、愛斗たちが二人で長く使える木製のサイドテーブルか小さな座卓を、自分の手で作って届けるというのだ。愛斗は心から感謝し、来る日を楽しみに待つことを約束した
家に戻ると、玄関まで出迎えてくれた弥生の手には、エプロンの紐がまだ緩んだままだった。台所からは、肉の旨みと玉ねぎの甘い香りが漂ってくる。
「おかえりなさい。今日から正式に会長さんね。お疲れ様」
「ただいま。手続きは無事に済んだよ。それにいい香りがするな」
食卓に着くと、弥生が作った手作りハンバーグが湯気を立てて並んでいた。箸を入れると肉汁がじゅわりと溢れ、口に運べば柔らかくて深い味わいが広がる。愛斗は満足そうに頷き、弥生に向けて柔らかく笑った。
「美味しいよ、弥生。これが毎日食べられるなんて、俺は幸せ者だ」
弥生は少し照れたように笑い、テーブルに手を置く。
「ありがとう。気に入ってもらえてよかったわ」
食事が進む中で、愛斗はコンビニで力斗と再会したこと、そしてお祝いに家具を作ってくれる話を伝えた。
「そういえば、明日あいつがこちらに来ることになった。弥生にも紹介するつもりだ。家族も一緒に来るかもしれない。力斗は家族想いで、奥さんも娘さんも揃って甘いものが大好きなんだって。特に娘さんは最近料理にハマり始めて、本格的なビーフシチューを作ってみたいと話していたそうだ。弥生、よかったら作り方を教えてやってくれないか?」
弥生は少し驚いたように目を丸くし、考え込むように頬に手を当てた。
「わかったわ。せっかく来てくださるんだから、何かお礼をしないとね。でも……本格的なシチューなんて、私にできるかしら」
「できるよ。雷門部屋で大勢の食事を作ってきた腕なんだから、何も心配することはない」
愛斗の言葉に励まされ、弥生はようやく力強く頷いた。
「ええ、わかった。明日来られる前に、お菓子も用意しておくわ」
翌日、二人は朝から一緒に街へ出かけた。最初に向かったのはダイソーをはじめとする日用品店や製菓材料店。小麦粉やバター、砂糖、チョコレート、ドライフルーツといったお菓子作りの材料を選び、次には専門店へ立ち寄って、良質な牛肉、香味野菜、赤ワインやデミグラスソースなど、本格的なビーフシチューに必要な材料も丁寧に揃えていった。
「シチューは時間をかけて煮込むから、明日力斗さんたちが来る前に仕上げることにしましょう。今日は先にお菓子から作ってしまいましょう」
家に戻ると、台所には材料が並べられ、エプロンを着た二人が準備に取り掛かる。弥生が計量を確認しながら手順を説明すると、愛斗も「俺にも手伝わせてくれ」と言って、ボウルを持ったり、生地を混ぜたり、型に流し込んだりと、素直に手を動かし始めた。
「こうか? もっと力を入れて混ぜた方がいいのか?」
「そう、そのくらいで大丈夫。均一になるようにゆっくり混ぜてね」
粉が舞って少し頬についたり、オーブンから甘い香りが立ち上ったりするたびに、二人の間には自然な笑い声が溢れる。愛斗は普段の会長としての厳しい表情を解き、弥生と一緒に何かを作り上げる時間そのものを、心から楽しんでいるようだった。
やがて焼き上がったクッキーやパウンドケーキが網の上に並ぶと、台所いっぱいに温かな甘い香りが満ち渡った。二人は出来上がったお菓子を少し味見し、互いに顔を見合わせて頷き合う。
「これならきっと喜んでくれる」
「ええ、明日が楽しみになってきたわ」
柔らかな午後の日差しの中、二人の手で作られたお菓子が、次の日の訪問を待つように、テーブルの上で静かに冷めていくのだった。
仕事を終えて帰路につく途中、少し小腹が空いた愛斗は道沿いのコンビニに立ち寄った。飲み物と軽いつまみを手に取り、レジへ向かおうとしたとき、背後から声がかけられた。
「おい、愛斗じゃないか?」
振り返ると、日焼けした肌に作業着を着込み、がっしりとした体つきの男性が笑みを浮かべて立っていた。記憶をたどるまでもない、高校時代の同級生で、今は大工として腕を磨いている力斗だった。
「力斗か! 久しぶりだな。こんなところで会うとは」
「仕事の帰り道でね。お前のこと、新会長になったって話を小耳に挟んだぞ。すごいじゃないか」
二人は店の外に出て、少しの間立ち話をした。近況を報告し合い、昔話にも花を咲かせるうちに、力斗は嬉しそうに申し出てくれた。結婚と新会長就任の両方の祝いとして、愛斗たちが二人で長く使える木製のサイドテーブルか小さな座卓を、自分の手で作って届けるというのだ。愛斗は心から感謝し、来る日を楽しみに待つことを約束した
家に戻ると、玄関まで出迎えてくれた弥生の手には、エプロンの紐がまだ緩んだままだった。台所からは、肉の旨みと玉ねぎの甘い香りが漂ってくる。
「おかえりなさい。今日から正式に会長さんね。お疲れ様」
「ただいま。手続きは無事に済んだよ。それにいい香りがするな」
食卓に着くと、弥生が作った手作りハンバーグが湯気を立てて並んでいた。箸を入れると肉汁がじゅわりと溢れ、口に運べば柔らかくて深い味わいが広がる。愛斗は満足そうに頷き、弥生に向けて柔らかく笑った。
「美味しいよ、弥生。これが毎日食べられるなんて、俺は幸せ者だ」
弥生は少し照れたように笑い、テーブルに手を置く。
「ありがとう。気に入ってもらえてよかったわ」
食事が進む中で、愛斗はコンビニで力斗と再会したこと、そしてお祝いに家具を作ってくれる話を伝えた。
「そういえば、明日あいつがこちらに来ることになった。弥生にも紹介するつもりだ。家族も一緒に来るかもしれない。力斗は家族想いで、奥さんも娘さんも揃って甘いものが大好きなんだって。特に娘さんは最近料理にハマり始めて、本格的なビーフシチューを作ってみたいと話していたそうだ。弥生、よかったら作り方を教えてやってくれないか?」
弥生は少し驚いたように目を丸くし、考え込むように頬に手を当てた。
「わかったわ。せっかく来てくださるんだから、何かお礼をしないとね。でも……本格的なシチューなんて、私にできるかしら」
「できるよ。雷門部屋で大勢の食事を作ってきた腕なんだから、何も心配することはない」
愛斗の言葉に励まされ、弥生はようやく力強く頷いた。
「ええ、わかった。明日来られる前に、お菓子も用意しておくわ」
翌日、二人は朝から一緒に街へ出かけた。最初に向かったのはダイソーをはじめとする日用品店や製菓材料店。小麦粉やバター、砂糖、チョコレート、ドライフルーツといったお菓子作りの材料を選び、次には専門店へ立ち寄って、良質な牛肉、香味野菜、赤ワインやデミグラスソースなど、本格的なビーフシチューに必要な材料も丁寧に揃えていった。
「シチューは時間をかけて煮込むから、明日力斗さんたちが来る前に仕上げることにしましょう。今日は先にお菓子から作ってしまいましょう」
家に戻ると、台所には材料が並べられ、エプロンを着た二人が準備に取り掛かる。弥生が計量を確認しながら手順を説明すると、愛斗も「俺にも手伝わせてくれ」と言って、ボウルを持ったり、生地を混ぜたり、型に流し込んだりと、素直に手を動かし始めた。
「こうか? もっと力を入れて混ぜた方がいいのか?」
「そう、そのくらいで大丈夫。均一になるようにゆっくり混ぜてね」
粉が舞って少し頬についたり、オーブンから甘い香りが立ち上ったりするたびに、二人の間には自然な笑い声が溢れる。愛斗は普段の会長としての厳しい表情を解き、弥生と一緒に何かを作り上げる時間そのものを、心から楽しんでいるようだった。
やがて焼き上がったクッキーやパウンドケーキが網の上に並ぶと、台所いっぱいに温かな甘い香りが満ち渡った。二人は出来上がったお菓子を少し味見し、互いに顔を見合わせて頷き合う。
「これならきっと喜んでくれる」
「ええ、明日が楽しみになってきたわ」
柔らかな午後の日差しの中、二人の手で作られたお菓子が、次の日の訪問を待つように、テーブルの上で静かに冷めていくのだった。

