ガエターノがひとつくしゃみをして、呟く。
「………昔のように完徹とはいきませんな」
「暖かい飲み物を用意するか」
「酒は抜きで、ですな」
古書に目を落としていたアルバートが、言う。
「海の国の伝承はそこかしこにあるな。真珠目当てに人と人魚が相争うようになってからは、海底深くに新たに国を作ったことも。そして、『嵐の夜には海の王が散歩することもあるが、それを見た船は概ね難破している』ハミシエが言っていた通りだ。伝承の多い海域は、地図で言うとこのあたりか」
「どこの国の水平線からも遠いですな。漕いで行くには遠すぎる。それで、海の王は宝物を好み、殊更珍しいものには目がない。貴重品を積んだ船は古来、この海域は避けていたとの事ですが、いつの間にやら伝承が途切れかけてきているようです」
「やはり図書館を整備しておいてよかったというものだ。それで、珍しい、貴重な品か」
「魔法の簪のひとつでもあれば良いのですがね。望み薄ですが、我が国の収蔵庫を漁ってみますか?」
するとそこに、執務室のドアが開く。
「それなら、これで足りるかしら」
「母上?」
城の執務室に静かに入ってきたのはエルミーネだった。彼女が、古い木箱をアルバートに手渡す。
「これは妖精の王冠。海の王を呼び出すに足りる、数少ない『宝物』のひとつ」
「母上、何故………このようなものを?」
アルバートが目を見開いて問い返す。
「私の、そうねえ、『嫁入り道具』のひとつだった、とでも思ってちょうだいな。人ならざる者を人にする力は、もうないけれど、海の王は変わった宝物が好きなのでしょう? 使ってちょうだい。海に投げ込めば、それだけで良いはずよ」
「海、か」
「これは、二人の試練。………海へは、二人で行かなければなりませんよ」
ガエターノが本から顔を上げて問い返す。
「つまり私は留守番、と」
そんな己の宰相に、アルバートは真顔で言う。
「………私とハミシエに『何か起きた』場合も想定しておくように。そなた以外にこの国の舵取りは任せられはしない」
ガエターノが真顔で、本を閉じてアルバートの目を見て言った。
「私はそこそこ小狡い宰相を自認しておりますが、あなた以外に仕える予定はありませんよ」
「………だが、何がどうなるかわからぬからな。そこも抜かりなく」
「無事のご帰還を。帰ってこなかった場合はこの国にあらん限りの暴政を敷きますゆえ」
「ひどい脅し文句があったものだ」
くすくすとエルミーネが笑う。
「それでは、無事に帰ってくるために、私からも」
そう言って、執務室の中央にある、重厚な木と玻璃で出来ている王冠の収蔵庫の前で、足を止める。
「ベルンシュタットの王冠は、試練への入口。『行きて帰りしとき』に使うもの。お伽話の様な妖精鄕へ足を運ぶこともできる、魔法の冠」
「妖精鄕………」
思わずアルバートとガエターノが顔を見合わせて、そしてエルミーネをまじまじと見る。
「これは夫の、そう、先王クリスティアン王の遺言のひとつ。『これは、本当に我が息子に何かしらの試練が必要になった時に、明かしてやってほしい』と」
「父上の、か」
「きっと、海の国の近くまで行けるでしょう。海の底にあるのなら、私たち人間は行くことは出来ないけれど」
ガエターノが言った。
「船を用意しましょう。すみやかに」
「そうしてちょうだい。それとアルバート。………お伽話の王はきっと、誰もがとても気難しいわ。気を付けるのよ」
アルバートが問い返す。
「母上は、父上がその王冠を使ったところを見たことが?」
エルミーネが微笑んだ。そして、人差し指を唇に当てて、答える。
「恋人同士の秘密、というものは、結婚してからも有効なのよ?」
「………昔のように完徹とはいきませんな」
「暖かい飲み物を用意するか」
「酒は抜きで、ですな」
古書に目を落としていたアルバートが、言う。
「海の国の伝承はそこかしこにあるな。真珠目当てに人と人魚が相争うようになってからは、海底深くに新たに国を作ったことも。そして、『嵐の夜には海の王が散歩することもあるが、それを見た船は概ね難破している』ハミシエが言っていた通りだ。伝承の多い海域は、地図で言うとこのあたりか」
「どこの国の水平線からも遠いですな。漕いで行くには遠すぎる。それで、海の王は宝物を好み、殊更珍しいものには目がない。貴重品を積んだ船は古来、この海域は避けていたとの事ですが、いつの間にやら伝承が途切れかけてきているようです」
「やはり図書館を整備しておいてよかったというものだ。それで、珍しい、貴重な品か」
「魔法の簪のひとつでもあれば良いのですがね。望み薄ですが、我が国の収蔵庫を漁ってみますか?」
するとそこに、執務室のドアが開く。
「それなら、これで足りるかしら」
「母上?」
城の執務室に静かに入ってきたのはエルミーネだった。彼女が、古い木箱をアルバートに手渡す。
「これは妖精の王冠。海の王を呼び出すに足りる、数少ない『宝物』のひとつ」
「母上、何故………このようなものを?」
アルバートが目を見開いて問い返す。
「私の、そうねえ、『嫁入り道具』のひとつだった、とでも思ってちょうだいな。人ならざる者を人にする力は、もうないけれど、海の王は変わった宝物が好きなのでしょう? 使ってちょうだい。海に投げ込めば、それだけで良いはずよ」
「海、か」
「これは、二人の試練。………海へは、二人で行かなければなりませんよ」
ガエターノが本から顔を上げて問い返す。
「つまり私は留守番、と」
そんな己の宰相に、アルバートは真顔で言う。
「………私とハミシエに『何か起きた』場合も想定しておくように。そなた以外にこの国の舵取りは任せられはしない」
ガエターノが真顔で、本を閉じてアルバートの目を見て言った。
「私はそこそこ小狡い宰相を自認しておりますが、あなた以外に仕える予定はありませんよ」
「………だが、何がどうなるかわからぬからな。そこも抜かりなく」
「無事のご帰還を。帰ってこなかった場合はこの国にあらん限りの暴政を敷きますゆえ」
「ひどい脅し文句があったものだ」
くすくすとエルミーネが笑う。
「それでは、無事に帰ってくるために、私からも」
そう言って、執務室の中央にある、重厚な木と玻璃で出来ている王冠の収蔵庫の前で、足を止める。
「ベルンシュタットの王冠は、試練への入口。『行きて帰りしとき』に使うもの。お伽話の様な妖精鄕へ足を運ぶこともできる、魔法の冠」
「妖精鄕………」
思わずアルバートとガエターノが顔を見合わせて、そしてエルミーネをまじまじと見る。
「これは夫の、そう、先王クリスティアン王の遺言のひとつ。『これは、本当に我が息子に何かしらの試練が必要になった時に、明かしてやってほしい』と」
「父上の、か」
「きっと、海の国の近くまで行けるでしょう。海の底にあるのなら、私たち人間は行くことは出来ないけれど」
ガエターノが言った。
「船を用意しましょう。すみやかに」
「そうしてちょうだい。それとアルバート。………お伽話の王はきっと、誰もがとても気難しいわ。気を付けるのよ」
アルバートが問い返す。
「母上は、父上がその王冠を使ったところを見たことが?」
エルミーネが微笑んだ。そして、人差し指を唇に当てて、答える。
「恋人同士の秘密、というものは、結婚してからも有効なのよ?」


