隣の席の悪魔 〜あの頃は、明日が当たり前だった

夏休み。

地元。

駅前。

変わってない景色。

……なのに。

帰ってきたって感じは、
あまりしない。

駅前も。

川沿いも。

走ってた道も。

全部そのままなのに。

当時、
隣にいた横顔だけが、
どこにもない。



実家のソファ。

ペットボトルの水を飲んでると、
向かいで葛西が笑った。

「向こうはどうよ」

「普通」

「でた」

少し黙って。

俺は、
ぼんやり窓の外を見た。

「……こっちが楽」

葛西は昔と変わらない顔で、
けらけら笑う。

「同窓会来なかったくせに」

「留学中だって言ったろ」

「タイミング悪すぎ」

……ほんとに。

その通りだった。

すると。

葛西が、
ふっと笑った。

「あいつ、
来てたぞ」

その瞬間。

ペットボトルを持つ手が、
少し止まる。

葛西は気づいてないみたいに、
続けた。

「……大人になってたよ」

指先に力が入る。

俺は、
黙ったまま水を飲んだ。

葛西が、
にやっと笑う。

「その顔」

「……なんだよ」

「分かりやす」

うるさい。



夕方。

『こっちの図書館で働いてるって』

葛西の言葉を思い出しながら、
俺は図書館へ向かってた。

夏の風。

静かな道。

六年。

今さら会ったところで。

星野が、
昔みたいに笑う保証なんか、
どこにもないのに。



自分の気持ちには
気づかないふりをしていた。

卒業式。

分かれ道。

一度は、
戻ろうと思った。

星野が泣きそうだったから。

でも。

当時の俺には、
どうすることもできないことも
分かっていた。 

だから。

『ちゃんと、
前見て走れよ!!』



……どの口が、
と思う。

走ってる時の顔。

バテてくると、
ぎゅっと手を握りしめる癖。

拗ねると
口を尖らすところ。

うるさい声。

夕焼けの横顔。

うまく走れないのは、
俺のほうなのに。



図書館。

自動ドアが開く。

冷たい空気。

本の匂い。

静かな館内。

カウンター。

本棚。

読書席。

そのどこにも、
星野はいなかった。



秋。

帰省した日にも。

冬。

雪が少し降ってた日も。

やっぱり、
いなかった。

春。

駅前の桜が咲いてた。

静かな図書館。

窓際の光。

あの頃みたいだと思った。

星野だけが、
そこにいなかった。



だんだん、
変に納得する。

そういうものなんだろう。

六年だぞ。

住む場所も。

会う人間も。

全部変わる。

今さら、
どうにもならない時間の方が多い。

もしかしたら、
もうこの街にはいないのかもしれない。

だから。

この夏、
最後にして。

もう来るのはやめようと思った。



夕方。

図書館。

自動ドアが開く。

冷たい空気。

本の匂い。

静かな館内。

顔を上げる。

カウンター。

返却された本。

窓際から入る、
夏の光。

その向こう。

束ねた髪。

後れ毛を
耳へかける仕草。

伏せた目。

本を握る細い指。

見慣れてるはずなのに。

知らない横顔みたいだった。

……いた。

カウンターの向こうに。

星野が顔を上げる。

目が合う。

その瞬間。

星野の顔が固まった。

でも次の瞬間。

ゆっくり、
目を見開く。

「……空、くん?」

名前を呼ばれる。

それだけで。

胸の奥にあったものが、
一気にほどけそうになった。

俺は、
何も言えなかった。

そして。

やっと声を出す。

「……星野?」



本当は。

少し話したら、
そのまま帰るつもりだった。

それで、
十分なはずだった。

……でも。

閉館時間が近づいても、
足が動かない。

気づけば。

図書館の外。

街灯の下。

壁にもたれて、
携帯を見ていた。

……帰る気、
ないだろ。

葛西なら笑う。
確実に。

でも、
それでもいい。

今更だから。

その時。

自動ドアが開く音。

「空くん!」

鞄を抱えながら、
こっちへ走ってくる星野。

昔と同じ走り方。

「……遅い」

「これでも急いで来たんだよ?」

少し息を切らしながら、
星野が笑う。

その顔を見た瞬間。

帰ってきたと思った。

地元に。

星野がいる街に。

……今さらでも、
よかったのかもしれない。

隣で笑う声も。

走る時、
ぎゅっと手を握りしめる癖も。

照れると、
すぐ視線を逸らすところも。

やっと触れられた、
この時間も。

今度こそ、
ちゃんと掴んでいたかった。