隣の席の悪魔 〜あの頃は、明日が当たり前だった

仕事終わり。

鞄を肩にかけて、
図書館を出た。

その時。

ぶるっ。

携帯が震える。

『走んない?』

私は立ち止まった。

どういうこと。

画面を見つめる。

すぐに次が届く。

『駐輪場のフェンス集合』

私はぱっと目を見開いた。

『行く!』

送信。



駐輪場のフェンス。

夕焼けは、
少しずつ夜に近づいていた。

空くんは、
フェンスにもたれて立っていた。

私が駆け寄ると、
こっちを見る。

「……早いな」

「急いできたもん!」

空くんの視線が、
私の頭で止まる。

「髪ボサボサ」

「空くんが急だからでしょ!!」

私は慌てて髪を結び直す。

その横で。

空くんが、
ふっと息を吐いた。

私は手を止めた。

……なんか。

違う。

風が吹く。

フェンスが、
小さく鳴った。

「……空くん」

「ん」

「なんかあった?」

「別に」

「嘘つき」



並んで走る。

風。

足音。

白い息。

しばらくして。

「……仕事の話」

隣に視線を向ける。

「来年、
院行くのは決めてる」

空くんは走りながら続ける。
 
「その後のことも、
なんとなく」

私は頷いた。

「ただ。
……周り、夢あるやつばっかり」

空くんが目線を伏せた。

「温度差ある」

「……ふーん、夢かぁ」

私は前を向いたまま続ける。

「私はちなみに。
好きってだけで、仕事決めた。」

空くんが、
ふっと口元を緩める。

「司書、意外だったけど。
……図書委員、だもんな。」

私は頷いた。

「空くん、
いつもいたし」

走りながら、
足下の小石を蹴る。

「それで好きになった。
図書室。」

空くんが、
急に静かになる。

私は横から覗き込む。

「……どうした」

「いや」

空くんがペースを上げる。

「……変なの」



走り終わって。

フェンスへ並んで寄りかかる。

夕焼けと夜の間の空。

空くんが、
ペットボトルを見ながら言った。

「……昔」

「ん?」

「先生向いてそうって、
言われた」

あんな小さな会話。
……空くんも、覚えてるんだ。

「教職とった」

「え!?」

思わず空くんを見る。
 
空くんは前を向いたまま。

「……それが動機って、
不純?」

私は吹き出した。

「うるさいの、
いるかもね。」

空くんが笑う。

「……慣れてる。」

私も笑った。

「大丈夫だよ。」

空くんが、
こっちを見る。

「努力型だもん。
空くんは。」

そう言って、
水を飲もうとした。
 
その瞬間。

グシャッ。

「うわっ!?」

頭の上。

大きな手。

「ちょ、なに!?」

慌てて頭を押さえる。

「……このやろ」

「褒めたのに!」

「うるさい」

私はむっとする。

「意味分かんない!」

空くんは、
小さく笑って前を見ていた。



並んで歩く。

夜の空。

街灯。

私は空くんを見る。

「……で?」

「ん?」

「なんで急に帰って来たの?」

空くんが、
眉を曲げて私を見る。

「急だったじゃん。
……なんかあったからじゃないの?」

風が通り過ぎる。
 
空くんが、
呆れた顔をして笑った。

「……別に」

「えーー?」

冬の夜。

並んで伸びる影。

足元の道は、
街灯の先まで静かに続いていた。

◇ 空 side ◇

帰りの電車。

窓の外は、
もう暗かった。

悶々としていた。

周りは、
先の話ばっかりしてた。

別に、
今のままが嫌なわけじゃない。

でも。

何回息を吐いても、
胸のあたりだけ重かった。

あの場所なら。

あいつと走れば、
少し晴れる気がした。

気づいたら、
電車に乗っていた。



駐輪場。

息を切らしながら、
走ってくる星野。

髪が少し乱れてる。

急いで来たのが、
すぐに分かった。

……変わってない。



話すつもりはなかった。

少し走って、
帰るだけのつもりだった。

なのに。

『……なんかあった?』

覗き込んでくる顔。

『嘘つき』

分かってるみたいな顔。

気づいたら、
俺は口を開いていた。



『先生向いてそう』

昔言われた言葉。

間に受けて、
教職まで取った。

ちゃんと決めたはずなのに。

時々、
これで良いのかって思ってた。

でも。

『好きってだけで仕事決めたよ』

『空くん、いつもいたし』

『好きになったの。図書室。』

もし。

もし、
星野も同じだったら。

そこまで考えた時。
 

『……で、なんで急に帰って来たの?』

思わず顔を見る。

まじかこいつ。

……このやろう。


昔から。

星野は、
こうだった。