隣の席の悪魔 〜あの頃は、明日が当たり前だった

冬。

外はもう暗くて。

図書館の窓は、
少しだけ私を映している。

閉館時間。

返却棚。

カウンター。

静かな館内。

私は返却された本を抱えたまま、
小さくため息を吐く。

「……最悪」

利用者さんが予約していた本。

確認ミスで、
別の人へ貸し出してしまった。

先輩が気づいてくれたから、
大きな問題にはならなかった。

「大丈夫だよ」

そう言って、
笑ってくれた。

でも。

笑ってもらえる方が、
余計に申し訳ない。

何回息を吐いても、
胸のあたりだけ重かった。

私はカウンターへ戻って、
視線を落とす。

その時。

目に入った。

腕時計。

シャンパンゴールドの文字盤。

細いオレンジのベルト。

空くんが選んでくれた時計。

『星野っぽいから』

あの時の声が、
ふっと頭に浮かぶ。

図書館の白い灯りを映して、
文字盤は今日もちゃんと光ってる。

私は指先で、
そっと時計へ触れる。

……どこが、
私っぽいんだろう。

そう思った瞬間。

なんか急に、
情けなくなって。

私はそのまま机に突っ伏した。



帰り道。

夜風。

私は携帯を見つめた。

何かあった時。

気づけば、
空くんの名前を探している。

六年も、
会ってなかったはずなのに。

少し迷ってから、
画面を開く。

『今日やらかした』

送信。

私は携帯をポケットへ戻しかける。

その時。

ぶるっ。

『朝比奈 空』

……電話。

私は慌てて耳へ当てた。

「も、もしもし!?」

『……何した』

低い声。

私は思わず立ち止まる。

「え」

『やらかしたんだろ』

「……なんで電話なの?」

『文字だと長くなる』

いつもの調子に、
私は気づくと笑ってしまっていた。



「予約の確認、
ちゃんとしてなくて……」

私は歩きながら、
ぽつぽつ話す。

空くんは途中で、
ほとんど何も言わない。

でも、
時々聞こえる短い相槌。

……ちゃんと聞いてくれてる。

全部話し終わったあと。

『……司書何年やってんの』

「二年目」

『まだ新人じゃん』

「え?」

『そんな顔するなってこと』

私はマフラーに顔を埋めた。

「……顔、
見てないくせに」

『……分かるだろ』

いつもより柔らかい声に、
私は何も言えなくなる。

少しだけ静かになったあと。

『……星野』

「ん?」

『反省できるの、
お前の長所』

私は黙る。

『テキトーだったら、
そんな落ち込まない』

言葉が出ない。

空くんも、
しばらく黙っていた。

そのあと。

『……今日走れよ』

「え?」

『全部解決する』

私は笑った。

「……暴論すぎ!」

耳元で、
小さく笑う声。

そして。

『……俺も走る』

「え」

『負けた方、
ジュースな』

私は瞬きをする。

「どうやって判断するのよ!」

『知らない』

電話の向こうで、
また小さく笑う声。

さっきまで苦しかった胸は、
気づけば少し軽くなっていた。



「じゃ、
ちゃんと寝ろ」

「空くんもね」

『ん』

通話が切れる。

静かな夜道。

私は携帯を下ろして、
視線を落とした。

腕時計。

街灯の灯りを映して、
静かに光ってる。

気づけば。

さっきより、
ちゃんと腕になじんで見えた。

……空くんは。

相変わらず。

私が前を向くのに必要な言葉を、
ちゃんと知ってる。

私は小さく息を吐く。

ポケットへ携帯をしまって、
もう一度歩き出した。

明日は、
ちゃんと笑えそうだった。