隣の席の悪魔 〜あの頃は、明日が当たり前だった

『今度、
十一月に帰る』

ある日の夜。

届いたメール。

私はベッドの上で、
思わず飛び起きた。

続けて。

『その日空けといて』

私はスマホを抱きしめる。

なんなの。

その言い方。

ずるい。

でも。

嬉しい。

すごく。

私は慌てて返信を打つ。

『空けとく!!!』

送信。

数秒後。

『うん』

私は枕へ顔を埋めた。

だめ。

楽しい。



十一月。

冬の空気をまとった空。

図書館。

閉館作業。

私は時計を見ながら、
何度も入口を気にしていた。

ガラス越し。

入口の外。

見つけた。

空くん。

壁にもたれて、
携帯を見てる。

呼吸が、
少しだけ浅くなる。



「お待たせ!」

私は鞄を抱えて、
外へ出た。

空くんが、
ゆっくり顔を上げる。

「……お疲れ」

優しい声。

空くんが。

また。

この街にいる。



「コンビニ寄る?」

歩き出したところで、
空くんが言った。

「え、行く!」

私は笑って答えた。

夜のコンビニ。

白い灯り。

自動ドアの音。

また。

昔を思い出す。

「肉まん」

「え」

「食べないの」

私は目を見開く。

「空くん、
覚えてるの?」

「まあ」

そう言いながら、
空くんが手に取ったのは、
ブラックの缶コーヒー。

「やっぱり大人ぶってる!」

「もう大人」

「苦いじゃん!」

空くんは、
少しだけ目を細めて、
私の手元を見る。

「……季節外れ」

「冬はアイスでしょ」

「なんで」

「大人だから!」

私は得意げにチョコアイスを掲げる。

空くんが、
小さく笑う。

「変わってない」

「え?」

「そういうとこ」



コンビニを出る。

夜風。

川沿い。

昔みたいに、
並んで座る。

私はストールにくるまって、
アイスを食べながら川を眺めた。

静かなのに、
落ち着く。

隣に、
空くんがいるから。
 
ふと、
横顔を見る。

夜風。

街灯。

大人っぽくなった輪郭。

私は小さく笑った。

「大学、
どう?」

「まぁ」

「楽しい?」

空くんは、
少し肩を竦める。

「普通」

私はアイスを見つめたまま、
小さく続ける。

「……空くん、
大学でも人気ありそう」

知らない街。

大学。

サークル。

電話の向こうで聞こえた声。

知らない人。

私の知らない空くん。

もしかしたら、
その隣には――。

私はアイスを見たまま、
小さく言った。

「……知らない時間、
いっぱいあるね」

夜風に溶けるみたいな声。

空くんは、
少しだけ黙った。

そして。

「……いない」

え。

「そういうの」

私は一気に顔を上げる。

空くんは、
前を向いたまま。

「……星野は?」

夜風。

川の音。

私は慌てて首を振る。

「い、いないし!!」

空くんが、
小さく息を吐く。

「……そっか」

その声は、
少しだけ柔らかかった。



ふと。

腕時計へ視線を落とす。

……あれ。

秒針。

止まってる。

「あ……」

小さく声が漏れる。

空くんが、
こっちを見る。

私は慌てて時計を軽く振った。

でも。

動かない。

「……ついに止まっちゃった」

私は小さく笑う。

「前から、
ちょっとずつズレてたんだけどね」

そう言いながら、
指先で時計を撫でる。

気づいたら。

ずっと、
外せなくなってた。

空くんは、
しばらく黙ったままだった。

そのあと。

「……ちょっと時間ある?」



ショッピングモール。

時計店。

私は値札を見た瞬間、
一歩下がった。

「高っ!!」

空くんは、
私の腕の時計を見る。

止まった針。

少し擦れたベルト。

「貸して」

え。

私はぽかんとしたまま、
時計を外す。

空くんは、
それを受け取ると、
店員さんへ差し出した。

「これ、
直せますか」

「お預かりになりますが」

空くんは、
小さく頷く。

「お願いします」

「えっ!?」

私は空くんを見る。

空くんは、
もう店頭の時計を見ていた。

私はその横で、
並んだ時計をぼんやり眺める。

その中で。

ひとつだけ、
目が止まった。

シャンパンゴールドの文字盤。

細いオレンジのベルト。

夕焼けを閉じ込めたみたいな時計。

その瞬間。

空くんが、
その時計を手に取る。

「これ」

え。

私は瞬きをする。

空くんは、
時計を軽く揺らしながら言った。

「好き?」

「……なんで分かったの」

短く息を吐いて、
空くんが言う。

「星野っぽいから」

私は目を見開く。

空くんは、
時計を見たまま続けた。

「……買う」

「え!?!?」

私は一気に現実へ引き戻される。

「いいよいいよ!!
高いって!!」

慌てて首を振る。

「……好みじゃない?」

「すっごく好きだけど!」

空くんが、
呆れたみたいに小さくため息をつく。

「……じゃあ、交換条件」

「え?」

空くんは、
少し視線を逸らした。

「今度、
学祭来て」

私は一瞬、
言葉を失う。

空くんは、
静かに続ける。

「……見せるから」

数秒。

空くんが、
少しだけ視線を落とす。

そして。

「……知らない時間」

胸の奥が、
ぎゅっと熱くなる。

大学の空くん。

知らない場所。

知らない時間。

私は思わず、
小さく笑った。

「……ずるい」



帰り道。

夜風。

並ぶ影。

「……また帰るし」

空くんは前を向いたまま、
続けた。

「その時、
また会えばいいだろ」

その言い方が。

あまりにも自然で。

まるで。

これから先も、
当たり前みたいに続いていくみたいで。

息が、ほどける。

私は小さく笑う。

「……うん」

そのあと。

ふと。

腕時計へ視線が落ちる。

夕焼けを閉じ込めたみたいな、
新しい腕時計。

夜の灯りを映して、
静かに光ってる。

……学祭か。

知らない時間。

大学の空くん。

なんか、
変に緊張する。

「……星野?」

低い声。

気づけば、
空くんがこっちを見ていた。

「……空くん」

「……ん?」

私はぎゅっと時計を握る。

そして。

小さく聞いた。

「……ほんとに、
行ってもいいの?」

空くんは、
少しだけ眉を寄せる。

「俺が来てって言った」

呼吸が止まりそうになる。

空くんは、
そのまま歩き続ける。

私はマフラーに顔を埋める。

「……絶対行く」

夜風が吹く。

隣を歩く歩幅が近い。

私はもう一度、
新しい腕時計へ触れた。