隣の席の悪魔 〜あの頃は、明日が当たり前だった

六月。

今日は朝から、雨だった。

窓を叩く音。

どんよりした空。

昼休みの図書当番。

図書室の窓も、白く曇ってる。

「やだぁ……
髪広がる……」

私はカウンターに突っ伏した。

「元気ないな」

聞き慣れた低い声。

目だけを動かす。

空くん。

今日も来た。

「だって雨嫌いだもん」

私はカウンターに頬をつけたまま言う。

「靴濡れるし、
髪うねるし、
走れないし」

その瞬間。

ぴたり。

空くんの動きが止まる。

「……走る気だったの」

「え?」

顔を上げる。

空くんは、普通の顔。

でも。

少しだけ、口角が上がってる。

「だって最近、
ずっと走ってるじゃん!」

「毎日ではない」

「ほぼ毎日!」

「はは」

……くそう。

やっぱりずるい。



放課後。

雨はさらに強くなっていた。

窓の外は、真っ白。

グラウンドも、水たまりだらけ。

「うわぁ……」

私は自分の傘を見る。

よりによって、折り畳み傘。

絶対濡れる。

その時。

「お、つむぎだ」

後ろから声がして、振り向く。

同じクラスの男子。

「傘ちっちゃくない?
入ってく?」

「……え、
本気で言ってる?」

「方向一緒じゃん」

男子が傘を広げる。

大きい。

確かに入りやすそう。

「じゃあ――」

その瞬間。

ガタン。

音のした方を振り向く。

靴箱を閉める人影。

空くん。

空くんは無言のまま、外へ出ようとしている。

「空くん!」

いつものように声をかける。

でも。

空くんは止まらない。

絶対、聞こえてるはずなのに。

……なんで。

「つむぎ?」

その声に、私は慌てて男子を見る。

「どうする?」

私はもう一度、昇降口の方を振り返った。

雨。

空くんの背中。

どんどん遠くなる。

その瞬間。

私は反射みたいに口を開いていた。

「……ごめん!」

「え?」

「やっぱ大丈夫!
ありがとね!」

私は折り畳み傘を掴んで、急いで空くんを追いかけた。



昇降口。

雨の音。

「空くん!!」

追いつく。

空くんが、立ち止まる。

でも。

振り向かない。

「……なに」

低い声。

「……なんか、
あった?」

「別に」

絶対嘘。

「空くん」

「……あいつと帰れば」

……え?

「……なんでよ」

空くんを見る。

耳、赤い。

「……もしかして」

私は空くんの顔を、横から覗き込む。

「嫌だった?」

ぴたり。

止まる空気。

空くんが、ゆっくり振り向く。

「……うざ」

でも。

やっぱり耳は赤い。

「へへ」

「なに」

「べつにー?」

むっとした顔で歩き出す空くん。

「あ、待ってよー!!」

……でも。

空くんの歩く速度は、いつもより少し遅い。

……待ってくれてる。

私は慌てて走り出した。

その瞬間。

つるっ。

「うわっ!?」

あ、
転ぶ――

そう思った瞬間。

ぐいっ。

腕を引かれる。

気づけば。

空くんが、すぐ近くにいた。

「……なんでいつも、
そうなんの」

低い声。

心臓が鳴る。

「ご、ごめん……」

空くんは、少しだけ眉を寄せたまま、私を見る。

雨の匂い。

制服。

いつもより少し跳ねた髪。

……近い。

その時。

ふと、思った。

「……空くん」

「なに」

「……背……」

空くんが、少しだけこっちを見る。

雨の音が、
やけに遠く聞こえた。

でも次の瞬間。

私は慌てて視線を逸らした。

「……なんでもない」

空くんは黙ったまま、私を見る。

そして、ふと。

空くんの視線が落ちた。

空くんの手。

私の手首を掴んでる。

熱い。

男の子の手。

心臓は、相変わらずうるさい。

数秒の沈黙。

夕方の風。

雨の音。

私も、空くんも。

黙ったまま。

その時。

空くんの指先が、ほんの少し動いた。

手首を掠める。

なぞるみたいに。

空くんは、何かを迷うみたいに、一瞬止まった。

そのあと。

はっとしたように、ぱっと手を離す。

「………帰る」

え。

空くんは前を向いたまま、少し早歩きになる。

「え、待って!!」

私は慌てて追いかけた。

でも。

顔が見れない。

今の、なに。

なんだったの。

すると。

前を向いたまま、空くんが言った。

「……危ないから」

「え?」

「ぼーっと歩くな」

短い声。

少しだけ掠れてた。

私は、隣に並びながら、そっと自分の手を見る。

まだ、少し熱い。

その時。

空くんが、ちらっとこっちを見る。

「……なんで笑ってんの」

え。

私、笑ってた?

私は慌てて口元を押さえる。

「笑ってない!!」

「笑ってる」

「空くんのせい!」

むすっと口を尖らせて歩き出す私に、

「濡れる」

空くんはそう言って、自分の傘を少し寄せた。

傘の下。

私たちの肩は、少しだけ近かった。