あの日の君へ


カランカラン。

待ち合わせのカフェ。

店内に入ると、外から差し込む明るい日差しとコーヒーの香りに、結衣は思わず息を漏らした。

「いらっしゃいませ!」

エプロンをつけた高校生くらいの女の子の店員さんが、元気な声で出迎えてくれた。

キョロキョロと店の中を見渡す。

「待ち合わせですか?」

「……はい。えっと……」

その時だった。

「結衣!」

聞き慣れた声が、店の奥から聞こえてきた。

その声に、結衣はほっとする。

「慶ちゃん、ごめん。打ち合わせが長引いちゃって」

「大丈夫。俺もついさっき来たところ!」

待ち合わせの相手。

慶ちゃんは、そう言うとニカッと笑った。

手元に置かれていたコーヒーカップの中身は、すでに半分ほど減っている。

しかも、おかわりをしたのか、テーブルの上にはミルクが入っている小さな瓶が二つ置かれていた。

そのうち一つは空だ。

そんなところまで、なんだか愛しかった。

「ご注文はお決まりですか?」

先ほどの女の子が、すぐに注文を取りに来る。

「あ、とりあえずコーヒーください」

「カフェラテじゃなくていいの?」

「うん。最近ブラックだよ」

「大人になったんだな」

「なに、それ」

席について、着ていたコートを脱ぎ、椅子にかける。

結衣が座るのを待って、慶ちゃんは話し出した。

「ここ、すぐわかった?」

「うん。Mapleって、最近職場でも話題になってるの。コーヒーが美味しいって」

「そうなんだよ。俺もマネージャーにおすすめされてさ。結衣と来たかったんだ」

慶ちゃんは、当たり前のようにサラッと恥ずかしいことを言う。

結衣が返事に困っていると、少し離れた席からこちらをチラチラと見る視線に気付いた。

「おい、あれって成瀬慶じゃね?」

「あんまり見るなよ。プライベートだろ」

「一緒にいる人、彼女かな」

「だからってジロジロ見るなって」

大学生くらいの男の子二人組だった。

友達同士だろうか。

男の子同士で、こういうカフェに来るなんて。

仲がいいんだな。

そんなふうに思っていると――。

「ダバダーダ、ダバダー」

突然、片方の男の子が歌い出した。

「なんだよ、それ」

一緒にいた男の子が、恥ずかしそうにたしなめる声が聞こえる。

「ふ。俺は八神晃。違いのわかる男」

「は?」

「うまいコーヒー、明るい店内。久しぶりの休日。親友とのほっとする時間」

「だからなんだよ、それ」

そのやりとりがコントみたいで、なんだかおかしかった。

ふふ、と笑う結衣を見て、慶ちゃんもその男の子たちに気付いたようだった。

「いいな、ああいうの」

「かわいいね」

その時、コーヒーのいい香りが近づいてくる。

「お待たせいたしました! Mapleオリジナルブレンドです」

運ばれてきたコーヒーを一口飲む。

「……美味しい」

その言葉に、コーヒーを運んできた女の子は嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます! 店長が豆から挽いてるんです!」

「へぇ……」

「鈴! これ5番テーブル!」

女の子はまだ話したそうにしていたが、カウンターの中から飛んできた声に、慌てて返事をすると、私たちに頭を下げた。

「ごゆっくりどうぞ!」

店員の女の子が去ったあと、再び二人の時間になる。

先ほどまでこちらを気にしていた大学生らしき男の子の二人組は、もう慶ちゃんには興味がないのか、楽しそうに話し込んでいる。

「雰囲気いいお店だね。なんか落ち着く」

「気に入ってくれたみたいでよかった」

「慶ちゃん、今度いつ休み?」

「今撮ってるドラマが来週クランクアップだから、そしたらしばらく空く。どっか行く?」

「じゃあ、地元帰らない? ナオが、会いたいって」

「んじゃ、俺、車出すよ。高速で帰ろ」

「楽しみ」


——あの日、CMの授賞式が決まって、三年ぶりに慶ちゃんから着信があって。

電話で、久しぶりに声を聞いて。

それから、授賞式で再会した時に、慶ちゃんが改めて自分の気持ちを伝えてくれた。

離れてからも、ずっと好きだったこと。

本当は、五年ぶりに会った時に、すぐにでも気持ちを伝えたかったこと。

もう会わないと言われた時、一度は芸能界を辞めようと思ったこと。

私も、伝えた。

会えなかった時間、自分なりに気持ちを整理したこと。

慶ちゃんの隣に立つことが苦しかったこと。

堂々と隣に立てる自分になりたかったこと。

そして、離れてからも、忘れられなかったこと。

気持ちを伝え合った私たちは、こうしてまた会うようになった。

今度は、堂々と。

今日は、それから初めての外での待ち合わせだった。

まだどこか気持ちはふわふわしているけれど、不思議ともう苦しくはなかった。

さっきも、慶ちゃんに気付いたお客さんの声が聞こえたけれど、もう大丈夫だと思った。

「結衣」

慶ちゃんに、名前を呼ばれる。

「ん?」

「……ずっと苦しませてごめんな」

「……なに、急に」

「好きだな、と思って」

「ちょ、ここで言う!?」

「もう言いたいこと、我慢しないことにした」

まっすぐ目を見て気持ちを伝えてくれるその姿は、付き合ったばかりの頃――中学生の頃の、自信満々の慶ちゃんだった。

"早く結婚したい"

"バカなの?"

あの頃の、まだ幼かった私たちみたいだ、と。

でも。

「私も好きだよ」

今は、もうあの頃の私じゃない。

私も伝えよう。

我慢しないで、恥ずかしがらずに。

「……っ」

慶ちゃんがテーブルに顔を突っ伏して、変な声を出す。

「……なに?」

「……それはずるい」

「なんでよ」

「……ぷっ」

「あははは」

中学生じゃあるまいし。

昼間から明るいカフェの店内で、他にもお客さんがいるのに。

気持ちを伝え合う私たちは、どこか滑稽でもあった。

どちらからともなく笑い合う。

もう、怖くなかった。


カランカラン。

ドアベルが鳴る。

「いらっしゃ……あれ! 琥太郎さん、今日仕事だったんじゃないの?」

「昨日休日出勤したから、今日半休もらったんだ。そしたら、そこで祐介に会った」

「柊ー、腹減ったー」

「お前ら、たまには他の店で飯食えば?」

「つめてーな。鈴、コーヒー」

「今日、美月は?」

「夕方には帰ってくるよ。飯食って待ってれば」


「ごちそうさまでした!」

「ありがとうございました!」

「晴人ー、今日お前んちでレポート書いていい?」

「いいけど、晃すぐ寝るじゃん」

「今日は寝ない! あの映画見ようぜ!」

「いや、レポート書けよ」


カランカラン。

「いらっしゃいませ!」


賑やかな店内。

行き交う人々。

今日も、誰かの物語は続いていく——。