夜を越えてしまう前に




「私ね」

遥香がぽつりと言った。

「ちゃんと苦しいって言えないんだ」

静かな声だった。

「みんな、私なら大丈夫って言うから」

私は何も言えなかった。

簡単な励ましなんて、きっと違う気がした。

だから代わりに、

「……そっか」

とだけ答えた。

ゆいは少し驚いた顔をして、それから泣きそうに笑った。

「そういう返事、初めて」

夏休みの前日。

遥香は学校を休んだ。

理由は誰も知らない。

クラスのみんなは、

「風邪かな」

「そのうち来るでしょ」

と軽く話していた。

でも私は、どうしても嫌な予感がした。

放課後、一人で図書室へ向かう。

窓際の席には、もう誰もいなかった。

その代わり、一冊の本が置かれていた。

最後のページに、付箋が貼ってある。

そこには、

“あの日、真剣に私の話を聞いて受け止めてくれてありがとう”

と書かれていた。

私はその文字を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。

もっと早く、気づけていたら。

もっとちゃんと、隣にいられたら。

そんな後悔ばかりが浮かぶ。

でも同時に思った。

誰かを救うって、特別な言葉じゃないのかもしれない。

ただ、ひとりにしないこと。

苦しさを否定しないこと。

それだけでも、人は少しだけ呼吸できるのかもしれない。

窓の外では、雨が止んでいた。

夏の風が、静かにカーテンを揺らしていた。