ほたる先生は振り向かない

職員室のドアを開けようとしたら、隣でぼそりと両手をさすりながら山本がため息をつく。

「だめだ、緊張して手が震える……」

「そんなんでこれから先どうするの?」

「どうして岸さん、そんなに堂々としてるの?」

「緊張はしてるよ?でもそれ以上に、今日が来るのをずーっとずーっと楽しみにしてたから」


私はためらいなく、ドアをノックして勢いよく開けた。
同時に少し声を張って、「失礼します!」と室内によく聞こえるように挨拶する。

中にいた先生たちが、一斉にこちらを向く。

その中にいるはずの人を、私はまだ探していなかった。


「おっ!?」

いの一番に声をかけてきたのは、四年前よりちょっと肌の黒さは落ち着いた沢村先生だった。

声の大きさも、がさつな感じも、なにひとつ変わっていない。

「岸!ほんとに来たのかー!新任で名前見た時、二度見したぞぉ!」

「沢村先生!ご無沙汰してます」

「そ、そんな言葉を覚えたのか……」

だいぶ失礼なセリフを吐いている沢村先生に、隣にいた山本も必死になにやらもごもごと挨拶をしている。

教育実習でお世話になったからか、みんななんとなく彼のことも覚えているらしく、声をかけられていた。


「教師になりたいなんて言い出された時はびっくりしたけどなぁ。現国に目覚めてくれてありがとな!」

沢村先生が暑苦しいのは慣れているので、私もにっこりと微笑みを返す。

「言葉の面白さを教えていただいて、感謝してます」

「そんな言葉遣いできるようになったんだなぁ」

「四年前と同じだったら、成長してないことになってしまいますから」


和やかな雰囲気の中、私はまだ仮面を被ったまま。
ふと違う方向を見やる。

コピー機のすぐ近くの席。
ざわついた先生たちの向こう側。

我関せずみたいにしていた“あの人”が顔を上げるのが見えた。


────あ、ほたる先生だ。

ほたる先生こそ、なにも変わっていない。

細いフレームのメガネに、バランスのいい肩幅。
綺麗なシワのないワイシャツに、今日は深緑のネクタイをしている。
上には、サイズの合った黒いカーディガン。


切長のあの目が、ようやくこちらを向いたので。

私は飛んでいくみたいに急いでほたる先生の元へと駆け寄った。