ほたる先生は振り向かない

「こういう和歌は、“会ったあと”の感情変化が大事です」

淡々と説明しながら、また黒板へ向き直る。

「会う前は苦しかったのに、実際に会ってしまったら、その前の苦しみが些細に思える」

さらさらとチョークが動く。
早く書いているのに読みやすくて、私には絶対書けないきれいな文字。

「つまり、恋愛はだいたい感情が大きくなるんですよ。昔も今も」


その時、後ろの席からだるそうな男子の声が飛んだ。

「せんせー?声ちっちゃくてよく聞こえませーん」

クラスがまたざわっと笑う。
たぶん半分くらいは、授業を止めたいだけ。

…あと、彼はたぶん。ほたる先生のことが好きじゃない。
こうやっていじって、笑いものにすれば少しは面白くなって自分の株が上がるとか思ってるんだろう。

バカらしい。


「あとー、古典って将来役に立ちますー?」

まだ続くわざとらしいその言い方に、私は思わず眉を寄せた。
────めんどくさいな。


けれど先生は気にした様子もなく、教卓に軽く寄りかかる。

「共通テストには出ますね」

清々しいくらいの真顔。

クラスから「共テ出んのかよ」と、笑いが起きる。


「あと、主語を読み取る力は現代文でも必要です」

「うわ、急にガチのやつ言ってくるじゃん」

「当然です。授業なので」


さらっと返して、先生はまた黒板へ身体を向けつつちらりとこちらを見やった。

「岸さん」

ここで名前を呼ばれると思っておらず、思わず肩に力が入る。

「はい?」

「次からはちゃんと聞いてください」


やっぱり、ちゃんと聞いてないの気づかれてた。
ほたる先生は、もうこちらを見ていない。

教科書に目を向けて、黒板にチョークを滑らせている。

「……先生を見てはいました」

────先生のきれいな字と、きれいな手を、ね。


私の答えに恋心が隠れているなんて、クラスメイトたちは微塵も分かっていない。

だって、ほたる先生は“そうじゃない側の先生”という認識だからだ。

なに見てんの〜、というクラスの笑い声に混ざって、私も小さく笑った。


「あとで聞きに来ても教えませんよ」


ぼそりとつぶやかれたその言葉に、ふわりと心がほどける。
なんだかんだ、教えてくれるくせに。


シャーペンをノートに走らせながら、ふふっと今度こそはっきりと笑った。




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