ほたる先生は振り向かない

そのまま私のいる机のそばの窓に寄りかかると、夕方の日差しを背中浴びながら首をかしげる。

「評論って、答えひとつじゃないだろ?」

「うん。だから難しい」

「でもさ、」

沢村先生は、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。

夕方のグラウンド。
部活終わりの笑い声。
まだ暑さが残る風。

夏休みそのものが詰め込まれた風景。
それを眺めて、先生がまぶしそうに目を細める。

「答えを教える教科ではないんだよなぁ」


その言葉にハッとして、なんとなくプリントから目を離して先生の真っ黒に日に焼けた顔を見た。

「考えさせる教科、ってこと?」


私がそんなことを言い出すと思っていなかったのか、沢村先生はちょっとだけ目を丸くしたものの。

また面白そうに笑うと、「そう」と力強くうなずくのだった。

「人の頭ん中ぐちゃぐちゃにして、自分で整理させる教科」


────ぐちゃぐちゃ。

その表現が、まさに一番しっくり来た。
モヤモヤは消えていない。でも、名前がついた気がした。


最近、ぐちゃぐちゃにされまくってる。

特別扱いしてほしいのに、平等じゃなきゃ嫌で。
近づきたいのに、先生でいてほしくて。

意味が分からない。

だけど、現国はそういう意味分かんない感情にちゃんと名前をくれる。


古典は、ほたる先生を知る教科だった。

でも、現国は。
自分を知る教科なのかもしれない。


「そういやあ、岸、進路決めた?」

ふと思い出したみたいに投げかけられた突然の質問。

たぶん、沢村先生もあんまり深く考えないで聞いてきたんだと思う。
ちょっとした世間話みたいな軽い口調だった。


私は不思議と迷わなかった。

「うん。もう決めてる」

あまりに早い答えに、沢村先生がなんとなく驚いたような表情を浮かべる。

「珍しく即答だな」

「まあ、それなりに迷ったけどね」

「うんうん、そっか」


それ以上、余計なことはなにも聞いてこない。

どういう進路を選んだのか。
その理由も。
触れてくることはなかった。

でも、それでよかった。


どうしてその道を選んだのか、私もまだうまく説明できないから。


ただ、ぼんやりとだけど。

こういうふうに、誰かのぐちゃぐちゃを言葉にできる大人って、ずるいと思った。

ちょっとだけ、憧れる。


……なんでかは、まだうまく説明できないけど。