ほたる先生は振り向かない

講習の教室は、いつもの授業より静かだ。

冷房が効きすぎていて、窓際の席の女子がカーディガンに顔を埋めている。
後ろの男子は半分寝てるし、前の方ではシャーペンを落とす音が何回もしていた。


夏休みの講習なんて、そんなもの。
特に古典は人気があんまりないから、講習をとるのも十人前後。

私からすればうってつけの、誰にも邪魔されずに先生をじっくり見られる時間だ。


黒板の前に立つほたる先生は、いつも通り淡々としている。

「では続きから。書き下し文、読める人いますか」

しん、と静まる教室。
みんな露骨に目を逸らした。

なんて分かりやすいんだろう、と笑いが込み上げる。


すると先生は、教科書を見たまま当たり前のように言う。

「岸さん、お願いします」

「…はいはい」

「“はい”は一回で結構です」

言われながら立ち上がって、教科書に目を落とす。

「“春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く”」


さらっと読み上げると、教室の後ろで「読めんのかよ」という小さい声。

私はそれを無視して、そのまま続けた。

「えーっと、“春の眠りは気持ちよすぎて朝になっても気づかなくて、なんか鳥鳴いてるわー”みたいな感じ?」


前の席の女子が吹き出す。

でもほたる先生は真顔のまま、眉だけ寄せて

「雑ですね」

と言った。

「間違ってないじゃん」

「間違ってはいませんが、風情が壊滅しています」

そしてなんだか呆れたような口ぶりで

「眠そう“なやつ”ではなく、春の心地よさを詠んだ漢詩です」

と訂正する。