逃げられるものならお好きにどうぞ。



「マスターも、椿から何も聞いてないんだよね?」

「あぁ。本当にあの馬鹿は、どこで何をしてるんだか」



拓斗に尋ねられたマスターはグラスを拭いていた手を止め、眉を顰めて憂い気な顔をする。



「椿はとにかく、香月さんが心配だね。さっき見た時も顔色が悪そうだったし」

「そうなんだよねぇ。ほんっと、大事なものほど瞬く間に手から零れ落ちていくもんなのにさぁ……後悔しても、知らないからな」



珍しく真面目な顔をして呟いた拓斗の声は、一番伝えたい相手に届くことはなく、その場に居た者たちの胸を、ただ静かに揺らした。