正直初めは、興味本位で声を掛けただけだった。百合子さんのことを全て知っているわけでもなかったし、たった数分話しただけの間柄だ。
だけど、それでも。
あの夜のことを、俺はずっと忘れられずにいた。また会えたらと、あの笑顔を自分だけに向けてほしいと、心のどこかで願っていた。
あの時からずっと、俺には百合子さんしか見えていない。百合子さんだけがいればいいし、正直、他の奴なんてどうでもいい。
百合子さんが隣で笑っていてくれるなら、誰がどんな不幸な目に遭っていたとしても構わない。
そんなこと言ったら百合子さんを困らせるだけだって分かっているから、本人に直接伝えたことはないけど。
――これから先もずっと、百合子さんの隣に在るのは、俺であればいい。この人の隣は、誰にも譲らない。
「あ、黒瀬くん見て! ボートだよ」
「ほんとだね」
「どこから来たんだろう。ボートのレンタルとかもしてるのかな?」
青い手漕ぎボートに乗って川を流れてきた旅行客に、楽しそうに手を振り返している百合子さんの横顔を見つめながら、繋いだ手にそっと力を込めた。



