王は言った。
「俺はオッサンだが、おじさん呼びされたくない。それはあなたのことが醜くて嫌いよ、と同義語なのだからな。
オッサンはこの世で最も醜い存在で存在する価値はない。だからそう呼ばれぬよう全身全霊を尽くす所存である」
そこまで言わなくても……そんなに嫌われていませんよ。というかそんなに関心は持たれていないし。世界一とか自意識過剰と言えますって。
「だってさみんなおじさんは嫌いだっていうじゃないか」
みんなってだれです?
「みんなはみんなだよ。みんな言っているし、おっさんは嫌いだって世間はオッサンを許しはしないよ」
みんなってあなたですよ。世間とはあなたです。
「太宰治構文を使うな!」
いまのは大庭葉蔵の台詞ですが。
「一緒だろうが! あれは本人が主人公なんだし」
いやいやこの主人公は私であるとか作者は書いていないのであれは大庭葉蔵によるフィクションですよ。
でもみんなあれを作者本人だと誤認してしまうあたりに太宰治の魔術がありまして。
「太宰治オタク仕草はやめろ」
全然オタクじゃないですただのファン。人間失格は五回読みましたが、五年に一回ずつ読むとその都度発見があっていいんですよ。太宰治ほど顔の美醜を気にした作家はいなくてですね。
「オタクってみんなそう言うのだよな。話を戻してみんなはみんなだ、俺だけじゃない。
あのAともこのあいだオッサンの駄目さについて語り合い盛り上がっていたぞ」
ちょうどここにその時の会話を録音しているので再生してみましょう……どうです?
「俺の声が大半だ……おかしいな。あいつはオッサン嫌いなのにあまり批判を言っていないぞ」
人との会話は自分と相手が五分五分で話していることはなくだいたいどちらかが一方的に喋っているのものです。
七分三分でも喋っている方が相手の三分を五分と思い込んでしまいがち。
人によっては九分一分でも相手はお喋りで自分は聞き役と勘違いしているでしょうね。十分話さないと気がすまないタイプ。
俺の話を聞け、お前の話はいい、というやつ。間違いなく嫌われる会話術。
「うーむ、だけど三分も話しているじゃないか。ほらオッサンは醜くて汚くてどうしようもないとか酷いことを言っている」
それあなたの言葉を復唱しているだけですよね?
「うるさい! だがこれだって立派な証拠だ。Aはオッサン嫌い、これははっきりしているだろ」
ではこのAさんがBさんと話した際の録音をここで再生します……どうです?
「おや? 今度はAはデブを馬鹿にしている。デブは醜くて汚くてどうしようもない、と。よく言うよ、こいつ小太りのくせにさ。
あれ? オッサンの悪口を言っていないぞ。そこからいくらでも不潔なオッサンの話を引きずれそうだが。俺だったらすぐにオッサン批判にスライドさせるのに、妙だな」
これはあなたにとっておじさんへの嫌悪が最優先ならBさんにとってデブを最優先にして悪口を言いたいということです。
つまりあなたとは話を合わせたのですよ。
またあなたもAさんがデブは嫌いと言ったら同意して話を合わせていたでしょう?
少しは嫌いだから話はできる。逆だったら話にならない。
けどこの少々嫌いと多々嫌いの間にはなかなか距離はあるものの話が通じないということは無い。
しかし大いに嫌いな人はちょっと嫌いな人を仲間だと錯覚してしまう。自分の話にだいたい同意してくれるし。
「なっなにが言いたい。まさかオッサン嫌いなのは俺だけだと言いたいのか?」
はい、そうです。オッサンが何よりも嫌いなのはあなたです。あなただけとしても良い。
「他のみんなだって嫌いに決まってるだろう! 世間のみんなはそう言っているんだよ!」
ですからあなたが一番おっさんのことを嫌いだとまず自覚してください。
みんなが嫌いだから自分も嫌いになるという主体性が欠けた他責思考は中断してください。私は嫌っている、こうしましょう。
「オッサンは嫌われているんだよ! みんなが言っている!」
極端な話、おじさんが嫌いなのはあなただけと自覚してから他人と会話した方が良いですって。
もしかしたら相手はそこまでおじさん嫌いではないかもしれない。ほとんど興味がない可能性も高い。
そもそも自分の属性が他者に加害を与えていると意識しながら接するのは失礼に価するし被害妄想にもなります。
「いいやオッサンは加害者だ! 例えば俺はJKやJDに好かれるオッサンの話が大っ嫌いだ! みんな嫌っているし露骨な欲望の可視化は公共猥褻物だ!」
ファンタジーに目くじらを立てるのってあなたがそこにリアルさを感じているからでは?
「あれをリアルだと誤解するバカなオッサンが現れたら困るだろ!」
それってあなたですよね。まぁ試しに少しの間だけ自分からオッサンの悪口を口にするのを停止してみてはいかがでしょうか?
「いっ嫌だ! そんなことはできない。俺が批判を止めたら世の中が悪くなる!」
これをまさしく自意識過剰と呼ぶ。
批判をやめたらもしかしたらオッサンの悪口を聞かなくなるかもしれませんよ。それはそれで快適なはずですって。
けど代わりに女の悪口や若者の悪口が耳に入るでしょうが。
陰謀論も引っ張ってくると、嫌うと自然に調べるようになり自分の考えに合致するものばかりを見てしまい結果的に世界中がそうだという認識となってしまう。
毎日赤いものを見ていたら世界は真っ赤だと認識するかのように。
「冗談じゃない! オッサンは世界中に嫌われていて嫌いなのは俺だけなはずないし、あんなの罰せられて当然なんだ! だから俺は今日も悪口を言うぞ! さよなら!」
というこんな具合にどんな心理かは不明だが、こうやって自らの属性を自ら差別することで彼は何かを得ているようである。
それは許しか媚びか自罰による快楽かまたはその全てか、こうして王は姉の心に怯えている日々であった。
そんなある日のこと姉がこう言った。王様の御家族の方々に会いたい、と。この間の話の続きとなる。
王は震えた。自分よりも若い男に会いたいということか? こんなオッサンは嫌だということか?
それがお前の本心なのか……いや、違うなと王は若妻の微笑みを見ながら己の心の卑しさが浄化されるのを感じ取った。
これは素直な気持ちからである。こんなに家族想いな女だ。こちらの家族に会えないのは変な気持ちなのだろうと王は想像した。
……まぁこれは妹の計略からなのだがそこは置いといてごく自然なことである。
王はさっきの理由からこれを拒みたいが、拒めない。ひとつの拒否が自分の卑小さをさらけ出したりあの禁断のワードを言わせてしまうかもしれない。
「え〜自分の息子に嫉妬しているの? これだからオッサンはめんどくさいのよね~」
そこだけは避けたい。この新王妃の前ではどこまでも良い顔をして良き理解者として素敵な人だと思わせたい!
そう見られたい……人間の欲望のひとつの根源である。
次回、見栄っ張りな王様の苦悩。



